水害が起きる「二つの原理」

台風が日本列島に接近する時期になると連日のように、「暴風、川の増水、低い土地の浸水にご注意ください」とテレビのニュースで警告を発している。

京都の豪雨、2018年7月
写真=iStock.com/kumikomini
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暴風を別にすれば「川の増水」と「低い土地の浸水」が人々の安全を脅かす元凶であることは言うまでもない。ただ、この現象は水に関する極めて単純な二つの原理によって引き起こされていることに注意する必要がある。その二つの原理とは次のようなものである。

(1)水は高きから低きに流れる。
(2)水は許容量を超えると溢れる。

人をバカにするなとお叱りを受けそうだが、水害は間違いなくこの二つの原理によって引き起こされている。例外はない。(1)から言えるのは、「低い土地の浸水」であり、(2)から言えるのは「河川の氾濫」(外水氾濫)・「内水氾濫」であり「土砂崩れ」「鉄砲水」である。

そういう見地に立つと、東京の海抜ゼロメートル地帯など人が住んではいけない最も危険なエリアだということになる。だがそんなに単純に割り切れないのが世の中である。

「山の手」と「下町」で水害の被害は大きく変わる

東京の町は「山の手」と「下町」とから成っており、両者を無数の「坂」が結んでいる。「山の手」と「下町」の境を象徴するのはJR京浜東北線である。北は王子駅あたりから南は上野駅あたりに至るまで電車は西側につながる台地の崖に沿って走る。

この西側に連なる台地が武蔵野台地の東縁に当たる。日暮里駅の北改札口で降りて北側を見ると左側に20~30メートルの崖が続いている。これが武蔵野台地の東縁である。この一帯の台地は江戸時代から「日暮らしの里」と呼ばれ、江戸の名所の一つだった。

駅から台地を北に10分ほど歩を進めると諏方神社がある。その境内から東を眺めると今はビルが林立して先は見えないが、江戸時代には一面の水田の向こうに千葉県の国府台が遠望され、その先には筑波山を望むことができた。

この光景から東京の水害を予知することができる。

海抜ゼロメートル地帯を含むこの広大なエリアは、西に武蔵野台地、東に下総台地、北の大宮台地に囲まれた三角状の低地である。ここに旧利根川、旧渡良瀬川(現江戸川)、荒川などの河川が流れ込むので、水害による被害は予想を超えたものであった。