“黒電話”の技術者が新商品開発をけん引
上澤体制1年目に同社が掲げたスローガンは、「コミュニケーション」。これには理由があった。05年、電話機の伊勢崎工場と茨城県守谷市にあった観測機器中心の守谷工場を伊勢崎に統合したが、そこでは社員どうしが工場名で「伊勢崎さん」「守谷さん」と呼び合っていた。
それだけではない。柴田耕志氏が振り返る。
「昔は、表現はよくないがメンバーのほぼ固まった“○○組”が、固定客とのやり取りを通じて商品をつくり込むやり方が主流。極端な話、ある人がこの机を取ると、そこはずっとその人が使い続けるというセクショナリズムがありました」
よくいえば職人集団だが、この場合えてして自分の“組”以外に関心を持たないタコツボグループが乱立する。当然、社内の風通しは悪くなる。
「ある事業における特定のキーマンの影響力が強すぎて、キーマンがいなくなると事業そのものも消滅する、というデメリットもありました」(柴田氏)
そこで上澤氏は、縦割り組織に横軸を通すべく、まずおのおののプロジェクト初日の飲み会を義務付けた。
「縦割りの部署から、名前も知らない人どうしが集まる。でも、飲み会をやるとやっぱり朗らかになるし、“よし、期日通りつくり上げて、できないとか何とか言っている社長をやっつけてやろう”と、お互い遠慮なくものが言えるようになる」
これがないと、例えばある製品が形になった段階で、ちょっとした突起に気づかずにアンテナをぶつけて壊したり、梱包に支障が出たりと作り直しのロスが生じる。“ノミニケーション”が取れていれば、設計の段階で突起は周知され、おのおのの工夫でロスは未然に防げる。だから、同社では飲み会をやっていないプロジェクトの報告は受け付けないという。
何より、工場の「見える化」を徹底した。各本部長がフロアを見渡せるように仕切りをすべて取り払い、広い通路を通した“大部屋”に。問題が生じて本部長や部長クラスが集まれば、フロア中からそれが見えるから、その都度必要な人の離合集散ができるし、日と場所を改めて会議を開く必要もなくなるわけだ。