大小問わず、危機に瀕している国内電気機器メーカー。裏腹な「ものづくり礼賛」の風潮にどこか違和感を覚える今、北関東の片隅にある社員300人の“凄い町工場”から何を学べるか?

社長就任初日にスクラップ置き場へ

「就任1年目に黒字化しないと、優秀な人材に見切りをつけられ、再建はできなくなる。P・ドラッカーの言うとおり、人は最大の財産。社員も、派遣社員も、掃除のお姉さんも、食堂の人たちも、1人も解雇しない」――06年4月に明星電気顧問に就任、6月に同社社長となった上澤信彦氏は、当時の決意をそう語る。

明星電気社長
石井 潔氏

上澤氏は生え抜きではなく、いわば“再建請負人”。自動車部品大手のカルソニックカンセイ出身で、日米のグループ会社の再建に手腕を発揮。03年には、同じ自動車部品の日興電機工業の社長に就任。その立て直しにも成功している。

「自動車部品は、品質についてもコストについても世界一厳しい業界。電機と比べても、自動車のほうが素晴らしいと思っています」(上澤氏)

そんな上澤氏の目に、明星電気の内情はどう映ったのか。

「社長就任初日に、まずスクラップ置き場に行った。私はいろんな会社に行くと、まずここを見せてもらいます。そうすれば、その会社が優秀か否かが一目でわかっちゃう。私に限らず、部品メーカーの幹部にとっては当然のことです」

まだ電話事業を手がけていた同社の廃棄場のドラム缶に、リード線やケーブル線が分別されずに破棄してあった。なぜ捨てたのかを聞いても誰も答えられない。そこで、廃棄物をすべてブルーシートに包み、工場内に持ち込んで開いて見せた。

「なぜ、廃棄したリード線の長さが2メートルもあったのか。設計の図面の規定では、何メートルまで捨てていいのか。通常つかみ代と呼ぶが、捨てていいのはせいぜい1~2センチまで。それが2メートルも捨ててあった」

社員にコスト意識がなかった。だから再建できた、と上澤氏は言う。すでに絞り切った揚げ句の窮地であれば手を施す余地はないが、そうではなかった。