65歳を過ぎたら「自分がやりたいことをやる」

ところが、定年退職という最悪な制度も、自分の考え方を変えると、最高の制度に見えてきます。

よく考えてみてください。定年退職は、それまでの束縛から解放されて、「自由を手に入れる」という最良の機会とも考えられます。

65歳は、老いてきてはいるものの、体力・気力は十分にあり、試せることはたくさんあります。むしろ、時間的な余裕が増えるぶん、できることも増えていくでしょう。この先、20年も30年も生きることを考えれば、その数は無限大です。

そこで、65歳以降のご自身に対して、1つルールを設けてはいかがでしょうか。

「65歳を過ぎたら、自分がやりたいことをやる」というルールです。

現役時代は、社会のルールに従って生きてきました。しかし、現役を引退したのちは、あなたを縛るものはもう何もなく、一人の人間としての自由を謳歌できます。

年齢を重ねてまで、嫌なことをする必要はありません。取り返しがつかなくなるような大バクチ以外のことなら、なんでも気軽に試してみましょう。そうすることで、新たな刺激を前頭葉に与えられます。

セロトニンの分泌が減っていく65歳以降は、なんでもやりたいことをするようにしないと、人生を楽しむ意欲など湧いてこないのです。

祖父と孫は家でテーブルの周りに座ってコンピューターを使う
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老いと「闘える間は闘う」で老化のスピードが落ちる

「老いと闘う派」と「老いを受け入れる派」。このように世間では、老いに対する考え方が二極化しています。

「努力をすれば、老いは遠ざけられる」といって、アンチエイジング(抗加齢)に勤しむ人がいれば、「年を取ったら、老いるのが当たり前。自然なままに生きていく」と、老いていくことを素直に受け入れている人もいます。

どちらも素敵な考え方で、否定するつもりはありません。

ただ、高年者専門の精神科医としてわかることは、「老いと闘うこと」と「老いを受け入れる」ことは、対立関係にあるのではなく、“移行するもの”だということです。

老いと闘える間は、闘ったほうが老化のスピードを緩められます。

60代はまだまだ、十分に闘える時期です。

この時期に老いと闘わずにいると、年齢以上に老け込んでしまいます。実際、何もしないでいると、60代でもヨロヨロして転びやすくなったり、顔つきが老人そのものになってきたりします。

ただ、どんなに頑張っても、老いることは止められません。ある時期が来れば、闘うフェーズ(局面)から受け入れるフェーズへと移行していくことになります。

しかし、歩行がおぼつかなくなっても、認知症になっても、寝たきりになっても、人生が終わりかといえば、そんなことはありません。

そのとき、「老いを素直に受け入れられた」ならば、できなくなったことをあきらめるぶん、今できることがいとおしく感じられるでしょう。

たとえば、歩けなくても絵は描けます。寝たきりでも俳句はめます。やってみたかったけれど、やらずにいたことを、そのときが来たら始めてもよいのです。そう思えば、「寝たきりになったら、どうしよう」という不安が軽くなりませんか。

そんな穏やかな時期が、生きていればやがて訪れます。ただ、その時期はなるべく遅くできるに越したことはありません。そのためにも、老いと闘える間は闘って、老化のスピードを緩やかにするとよいと思います。