町にはまだ土がむき出しの道路が多く、毎年、梅雨の時期になるとぬかるんで大変でした。とくに学校に向かう通学路が悲惨で、雨の日に登校するとそれだけで靴がドロドロになってしまいました。

ある日の夕食時のことです。

「おう、最近、学校はどうや?」

いつものように、父が近況を聞いてきました。

「雨の日に、学校の周りの道が泥だらけになってしまって、みんな困っているんや」
私がそう答えると父は少し考えた後、真剣な顔つきになって私の顔を覗き込みました。

「オマエだけが困っているんじゃなく、“みんな”なんやな?」

私がうなずくと、父は「よし!」と声をあげると、そそくさと夕飯を済ませ、事務所へ戻っていきました。

「どうや? みんな、汚れずに学校に行けたか?」

それから数日後のこと。

その日は3連休明けの登校日だったのですが、通学中に驚きました。なぜならば、私の通学路、および学校周辺の道がものの見事にアスファルトで舗装されていたからです。いったい、誰がいつの間にこんな工事をしたのか。しかし、これならみんなが靴を汚さずに登校できます。

あとで知ったのですが、これは父の仕業でした。

懇意にしている業者を休日出勤させ、アスファルトの舗装工事を連休中の3日で仕上げさせたのです。もちろん、費用は父がポケットマネーで負担。おそらく道路工事の許可などとっていないことでしょう。まだ規制が緩かった、あの時代だからできたことです。

学校の帰りに、事務所に寄ってみると珍しく父がいて、私が喜んでいるのを見るとニンマリ笑って言いました。

「どうや? みんな、汚れずに学校に行けたか?」

父は、敵対する者には鬼のような厳しさを見せることもありましたが、家族や一般の人には温厚で、困っている人がいれば手を差し伸べるような人間でした。

「お兄さん、もっと吸ってみたらどうですか?」4、5本のタバコにまとめて火をつけて私の口に…ヤクザの息子が「父の真の怖さ」を知った日〉へ続く

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