歩きながらつくる100歳地図

わたしのイメージでは、100歳までの地図というのは「すごろくゲーム」のようなもので、サイコロを振って進んだ先に分かれ道があったら、どちらへ行くかを決めて、うまく当たりの道を選び続けることができればゴール=100歳まで生きることができるというようなものです。

ですから、わたしの100歳までの地図は、あらかじめ用意するものではなく、歩きながら地図ができていくというようなイメージです。

勘違いしてほしくないのは、行き先をサイコロ任せにしているのではなく、サイコロはあくまでも前へ進むためのもので、分かれ道に出くわしたときにどちらの道が充実しているか、どちらの道がおもしろいのかを決めるのは自分だということです。

サイコロを振った先に、こっちの道は楽しそうだけどちょっとヤバそう、こっちの道はつまらなそうだけど長生きはできそう、など即決できないようなときもあるでしょう。しかし、どちらの道へ進むかを決めるのは、自分しかいません。

このように、本来は自分自身が行きたい道を自由に選んで決められるはずですが、その選択を邪魔する存在が、医師と家族です。

「酒をやめろ、たばこをやめろ」善意の押しつけに屈しない

医師は、「こんなことしていたら長生きできない」と脅し、「この薬を飲め」と迫ります。家族は、「酒をやめろ、たばこをやめろ」「塩分、脂質を減らせ」と言い、我慢だらけのイバラの道を押しつけてきます。

たくさんの薬
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高齢者の話を聞いていて悲しくなってくるのは、「奥さんにしょうゆを取り上げられた」「コーヒーに砂糖5杯入れないと我慢できないのに、からだに悪いからと止められた」など、医師ではなく家族や周りの近しい人から好きなものを制限されてしまうことです。相手も悪気はないどころか善意で言っていることなので、本当に困ったものです。

それでもなかには、「そこまでして長生きしたくない」と言う人もいますが、その本心はきっと違うものだとわたしは思っています。

「本当は長生きしたいけど、医師の言うことはあてにならないし、好きなことを我慢するのはイヤだ」というのが本心だと思うのです。そのような言葉をのみ込んで、「そこまでして長生きしたくない」という言い方をしているような気がしてなりません。

わたしも、いいかげんな暮らしを続けているからといって、けっして長生きしたくないわけではありません。我慢を強いられた暮らしをするよりも、たとえ命を縮める不摂生な暮らしぶりであったとしても、自分が楽しいと思える生活のほうが、もしかしたら長生きできるかもしれないと思っているのです。

長生きはできなくとも、我慢を押しつけられた生活の果て、人生の最期にきて後悔をしたくない、ただそれだけなのです。