誰だって死から逃れることはできない

わかりきった話に聞こえるでしょうが、人は生まれた瞬間から老い始め、その先の死に向かって歩んでいきます。多くの高齢者を診てきたわたしの最大の教訓は、実は人間の死ぬ確率は100%であるということです。誰もがいつかは必ず死にます。

残念ながら年をとればとるほどその確率は高くなっていくのだから、年をとってからあれこれ悩むことは無意味ですし、それによって神経をすり減らしてしまうのは、精神の無駄遣いです。

どんな人でも老化を止めることはできませんし、死を回避することはできません。そのようなことを普段の生活で意識することはなく忘れられがちですが、ある年齢になったら、「人間は必ず死ぬものだ」という覚悟をもたなくてはいけないとわたしは考えています。

わたしは、2019年に血糖値が660mg/dlまで上がり、体重は1カ月に5kg減り、膵臓がんの可能性を強く示唆されました。そのときに、「そうか、死ぬのか」「それならお金を借りてでも映画を撮ろう」と思ったわけです。

和田秀樹『わたしの100歳地図』(主婦の友社)
和田秀樹『わたしの100歳地図』(主婦の友社)

結局、精密検査を受けたらがんではなかったのですが、わたしはそこで、「どうせ人間いつかは死ぬのにジタバタしてもしかたがない、いまを楽しもう」と「死」に対する覚悟をもつことができたおかげで、死に対する恐怖もなくなりました。

死ぬのが怖いからといって、家に閉じこもってばかりいれば足腰が弱くなって、外出はおろかトイレにも自力で行けなくなり、おいしいものを食べてもおいしいと感じられなくなってしまいます。これではあまりに悲しすぎます。

ただやみくもに死を恐れるのではなく、死から目をそらさず、真剣に死と向き合ってみるといいと思います。自分の死について考えることで、生きることの意味、自分が進むべき方向がより深くわかってくるはずです。

悔いのない人生を航海する

なるようにならないのが人生なら、なるようになるのも人生です。必要以上に悩んだり、怖がったりする必要はありません。死にたくないと思えば思うほど、その恐怖から普段の生活のなかの多くを制限してしまい、人生の充実度が下がってしまうでしょう。

いつまで生きられるのか、いつ死ぬのかわからないのだから、いつ死んでもいいやとポジティブに考えることができれば、好きなように楽しく生きられるものです。

自分のあるがままを認めて、何も恐れず、余計な心配もしない。自分のやりたいことをやり、食べたいものを食べて、一日一日を積み重ねて生きていく。これまでも、これからもわたしはそうしていくつもりです。

100歳まで生きられたとしても生きられなかったとしても、後悔のないように人生を航海する、それがわたしの100歳地図です。

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