議論したいのではなく、すでに答えは出ている
心理学用語で「一貫性の法則」という言葉がある。わかりやすくイメージするなら、使用者側は問題社員と議論したいわけではないのだ。
この社員のいったい何が問題なのか。どうやったらその問題は解決されるのか。会社としての「答え」はすでに出ていて、その「答え」を労働者側へご丁寧に伝えようとしているにもかかわらず、糠に釘状態。素直に従わずに反骨心を持つのであれば退職勧奨、あるいはクビも致し方なしという展開になるのではないか。
上司からすると部下からの反論は「生意気」に映る。みんな遅くまで働いているのに一人だけ早く退勤する。みんな勤務時間外も電話対応しているのに、一人だけ対応しない……。
実際、退職勧奨してくる総務部長に言われたのだが、「自分たちのやってきた努力をバカにされた気持ちになった」そうだ。上司が積み重ねてきた努力を否定する言動は、極論、その上司の存在そのものを否定することにつながる。アイデンティティを否定され、生き方を否定されれば、そりゃあ出る杭は打ちたくなるだろうし、最悪の場合、杭ごと引き抜いてポイ捨てしようと考えてもなんら不思議ではない。
私の経験を教訓として伝えるなら、注意指導と思われる場に呼び出されたときはくれぐれも「私は間違っていない。あなたが間違っている」といった態度を全面的に出さないよう意識し、可能ならば全力で弱者を演じるべきだろう。そして、相手が油断している隙に録音などの証拠を集め、有事の際に備えよう。
「優秀社員」だった私の評価が急降下したワケ
今となっては誰も信じてくれないが、私はクビになった2つの会社で「優秀な社員」という評価を一時的だが得ていた。営業成績不良で解雇されたブラック企業では、営業活動に従事する前に行われた民間の資格試験に一発合格した(社員約15人が参加したが、私の成績は2位だった)。
勤務態度不良で解雇された企業では、3人で回していた業務を1人で回せるよう業務を効率化。賞与の査定表には「標準より能力が優れている。今後、後輩が入ってきた際は、自分の知識や考え方を伝承してほしい。自分のコピーを作るつもりでお願いしたい」といったコメントを営業所長から頂いている。
ところがどっこい。期待が大きいと、そのぶん失望したときのギャップも大きくなる。なぜなら心の振れ幅の「差」が大きくなるからだ。
恋愛などで誰しも経験があるだろう。もしかして自分に気があるのかなと期待していたからこそ、ダメだった時の反動は大きい。会社も同じだ。誰からも期待されていない「働かないオジサン」は不思議と職場になじんでいるが、若手社員の勤務態度が腐り始めると「これは一大事だ」と問題がクローズアップされる。この違いは期待あるいは信用の有無に左右されている。