他人同士がうまくやっていくにはなにが重要なのか。哲学者カントは、「引力」としての理性的な愛と、「斥力」としての理性的な尊敬のバランスが不可欠だと説いた。『人間関係の悩みがなくなる カントのヒント』(ワニブックスPLUS新書)より、独トリア大学付属カント研究所研究員・秋元康隆さんの解説を紹介しよう――。
「友情は義務である」と述べたカントの真意
人々の間での友情は、人々の間での義務であるということ、これは容易に理解される。
アカデミー版(Ak)VI 469.
アカデミー版(Ak)VI 469.
このようにカントは、友情について、それが義務であると述べています。しかし、友情が義務であるというのは、実はよくわからない言明と言えます。というのも、友情というのは感情であり、感情というのは「持とう」と意志したからといって、湧いてくるようなものではないだろうからです。
ではカントは、そもそも「友情」というものについてどのように理解しているのでしょうか。以下の文面が定義に近いものと言えるでしょう。
「友情とは、(それが完成した形において観られる限り)二つの人格が相互に等しい愛と尊敬によってひとつに結びつくことである」(Ak VI 469.)
感情はコントロールできるものではない
ここでカントは、友情には愛と尊敬が必要であると言っているのです。すると疑念はさらに深まるのではないでしょうか。愛や尊敬というのもまた感情であり、やはり「持とう」としたからといって持てるようなものではないように思えるからです。
実はカント自身が、愛や尊敬について、それらが感情に属するものであり、自身でコントロールするようなものではないことを認めているのです。
「愛は、感覚の事柄であって、意欲のそれではないから、私は愛そうとしたからといって、ましてや愛すべきである(愛へと強制されている)からといって、愛することができるわけではない。従って、愛するという義務は実在しない」(Ak VI 401.)
私たちは誰かを愛そうとしたからといって愛せるものではありません。そのため、誰かを愛すべきという義務は存在しないのです。