「関係が悪くなったら…」という危惧へのヒント

というのも、仮にこちらが相手のことを思って発言したとしても、伝え方や言い方を誤ると不幸な結果となってしまうことが容易に想像できるからです。カント自身も、相手への苦言が、尊敬の欠如や監視、延いては、侮辱と受け止められてしまうリスクについて言及しています。(Vgl. Ak VI 470.)

このような危惧を前に、カントによる以下の言葉がヒントになるかもしれません。

「友人の若干の欠点が指摘されねばならない場合、私は友人の功績を卓越させ、一般的な本質的な彼の欠点を示し得るならば、友人もこれを悪く思わないだろう」(メンツァー〈1968年〉、294頁以下)

カントは具体的な例を挙げていないのではっきりとしたことはわかりませんが、私のなかに思い浮かんだのは、いつかの私自身と友人との間のやりとりです。

メールにミスが多い友人に伝えた言葉

彼から受け取るメールには普段から、誤情報やら誤字脱字やらといったミスが多かったのです。私は正直「もっとちゃんと調べてから、自分の書いた文章もしっかり読み直してから送ってほしい」と思いました。しかし、それをそのまま口に出すのでは、角が立ちます。

そこで私は考えたのです、そもそもなぜ彼のメールにはこんなにもミスが多いのかと。そこで彼の性格や言動から察することができたのですが、彼はなるべく早く返事をすることが相手に対する配慮であり、逆に、返信に時間がかかるのは失礼だと思っていたようなのです。

そこで私が彼に伝えたのは、彼の考え方自体は決して間違ってはいないということ、ただ焦って返信した結果、誤った事実を伝えてしまい、それによる悪影響が出ることも考えるべきなのではということです。それを聞いた相手は納得し、感謝しているようにさえ見えました。

とはいえ、これはたまたまうまくいったケースの話であり、明らかに失敗だったケースも(いくらでも)あります。ここに難しさがあることは確かなのです。