52歳での起業だったかららこそ成功した

本書の巻末に収録されている対談で、ソフトバンクの孫正義さんが「レイ・クロックは52歳という年齢から大きな仕事を始めている。日本で50歳を過ぎた人が道端のレストランを見ても、なかなか起業には踏み出さない」とコメントしている。こんなに年をとってから起業するというのは確かにすごいバイタリティーだ。しかし、「52歳なのに…」ではなく、「52歳だからこそ」の成功だったのではないかというのが僕の見解だ。酸いも甘いも経験しつくすようなキャリアがあったからこその偉業なのではないか。

52歳になるまでずっと営業一筋。そのなかでクロックはありとあらゆる商売にとって大切なものを、半ば無意識のうちに蓄積し、発酵させていたに違いない。マクドナルドの兄弟の店に出会ったのは、それまでの蓄積の起爆剤に過ぎない。50代になるまで火薬をたっぷり仕込んでいた。そこに火がついたからこそ、これだけの大爆発になったのではないかというのが僕の感想である。創業後に経験して、学習したことももちろんあるだろう。しかし、商売のスタイル、たとえば仕組みづくりとか、顧客志向とか、早めの実行・早めの失敗といった部分は、30年以上にもなる営業マン生活の経験によって錬成されたものである。

起業は若い人だけのものではない。日本でも、濃い経験を積んだベテランが新しい事業に乗り出すという例がもっとあってもいい。クロックとは性格もスタイルも全然違うが、たとえばライフネット生命社長の出口治朗さん。還暦を過ぎて保険会社を起業し、「100年後に世界一」を目指して飛び回っている。

レイ・クロックは、功なり名なりを遂げた後、1970年代になって、古巣のシカゴに戻り、ダウンタウン・シカゴで店舗開発を始める。これがもう嬉しくてたまらない。シカゴは自分が知り尽くしている土地だ。店舗候補地までの輸送路、歩行者数、不動産の所有者、所有期間……そういったものがすべて頭に入っていた。35年間も同じ町でペーパーカップとマルチミキサーを売り歩いていたのである。

「もしあなたが不動産屋で、客に良いサービスを行う気があるなら、地下のレイアウトや脇道のアクセスまで調べ上げるのが普通だろう」とクロックは言う。それは彼がいつも実践してきたことだった。セールスマン時代に積み重ねた知識の結集を、巨大企業となったマクドナルドの店舗開発で駆使し、成果へと還元する。クロックにとってはさぞかし「男子の本懐」だったことだろう。

クロックは本書の最終章でこう結んでいる。「自分の仕事にこのような姿勢で向かえるのなら、人生に打ちのめされることはない。これは取締役会長から、皿洗い長にいたるまで、すべてのビジネスマンに言えることだ。『働くこと、働かされること』を楽しめなければならない。……幸福とは約束できるものではない。それはどれだけ頑張れたか、その努力によって得られる、その人次第のものなのだ」。腹から出ているイイ言葉である。

軽めのデブの僕にとってはカロリーが気がかりなのだが、マクドナルドのハンバーガーは嫌いではない。というか、わりとスキである。クロックが出会い頭に感動したように、マックのポテトはつくづくおいしいと思う。この歳になっても、1個だとちょっと物足りない。それで、絶対満足できるような量を一度は食べてみたいと、この前Lサイズ3個を大人買いして一気に食べてみた(当然ながら、気持ち悪くなった。2個が限界)。それぐらいスキなので、どうしてもやめられない。食べ始めると止まらない。

とある休日、家の者はそれぞれ遊びに出かけてしまい、一人で朝からこの原稿を書いていた。空腹を覚えたので、自宅近くのマックにランチに出かけた。休みの日でいつもよりも混んでいる。「チーズバーガーのセット、ポテトはLに変更だな…」と企みながら注文の行列に並ぶと、展示されていた昔のマクドナルドの広告ポスターの復刻版が目に入った。いつの時代のものかは分からないが、「ハンバーガーが15セント!」とある。創業期のものだろう。

そのポスターの隅には、“OFTEN IMITATED, NEVER DUPLICATED”という文字が太い書体に下線付きで誇らしげに書き込まれていた。これぞマクドナルドの強みの本質である。「お前もカロリーがどうとかこうとか言ってるわりにはしょっちゅう来るじゃないか。どうだ、おれの創った商売は?マクドナルドは安くてうまくて早くて便利で、もう最高だろ?!」 レイ・クロックの大声が耳元で聞こえた気がした。彼が創った商売の原型は何十年経っても変わらない。僕は確かに彼の戦略ストーリーのリピーターなのだ。

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