世の中が絶賛した「日本的経営」への懐疑

いくつかの「セオリー」を振り返って、著者のジェニーンは吐き捨てるように言う。「趣味や服装の流行のように、つぎつぎに現れては消えていく『最新の経営理論』を当てにしていては、経営なんかできるわけがない。どんな理論も複雑な問題を一挙に解決してくれるということはあり得ない。」ジェニーンが皮肉たっぷりに掲げるセオリーGである。

プロフェッショナルマネジャー
[著]ハロルド・シドニー・ジェニーン[編]アルヴィン・モスコー[訳]田中融二[解説]柳井 正
(プレジデント社)

現実に経営者が直面する問題は、単に複雑なだけではない。それぞれの会社の文脈に大きく影響を受けるものであり、しかも前例のない一回性のものである。そもそも、そんなものを単純な公式で解けるわけがない。だとしたら、「経営理論」なるものを生業とする経営学者とは、何をする人なのだろうか。経営者と経営者を志す人に向けて書かれた本だが、僕にとっては経営学者の仕事とは何なのかをよくよく考えさせてくれる本でもあった。

ジェニーンさんは1997年にお亡くなりになっているので、現世ではかなわないことなのだが、拙書『ストーリーとしての競争戦略』は、彼に読んでもらったと仮定して、「学者の戯言には変わりないが、ま、これならある意味アリかな?」と言ってもらえるような本を書きたいというスタンスで書いた本である。来世で機会があったら感想を聞いてみたいという気もするが、「このクソ忙しいのに、何が悲しくてテメエの長々とした世迷言につき合わなきゃいけないんだ?おととい来やがれ!」と一蹴されることはまず間違いない。彼が生きていたとしても、感想をいただくことはかなわなかっただろう。

話を戻す。ジェニーンがこの本を書いていたころは、「セオリーZ」に象徴されるような、日本的な経営が大流行りだった。大企業は、家族主義的な経営、終身雇用、バランスのとれた経営者の教育、労使協調などを通じて、従業員に国や家族に対するのと同様の忠誠心を会社に対して持たせる。こうした精神的インフラがあるから、不断の品質改善が進む。みんなせっせと働く。これに対して、そのころのアメリカは「セオリーZ」の正反対とされていた。短期雇用が基本で、職業の専門化が進み、個人的な忠誠が優先して、会社への忠誠心が犠牲になっている。こんな対比がまことしやかに論じられたものだった。

こうした当時の論調に対するジェニーンのリアクションは実にスカッとしている。「思いやりのあるバラ色の日本の職場と、寒々としてストレスに満ちたアメリカの職場」という対比は単純すぎる。仮にそのとおりだったとしても、アメリカには個人の自由と機会の平等の伝統がある。これを温情主義や謙譲、無私といった日本に固有の価値と本当に交換したいと思うアメリカ人がどれだけいるだろうか。確かに日本には優れた点が多々ある。だから日本は産業の発展と繁栄を成し遂げた。しかし、日本人の価値観は何世紀にもわたって培われた文化的文脈のなかで、ほかにはありようのない発展の仕方で形成されたものだ。アメリカの価値観もまたしかり。自己の能力に応じて学び、成長し、稼ぐ自由こそがアメリカを支えてきた価値観であり、それのどこがいけないのか、とジェニーンは言い切る。

100%賛成だ。これは「社会の持ち味」の問題である(これについてはこの連載で『日本の半導体四〇年』をとりあげた第6回(>>記事はこちら)でも強調した)。マネジメントの手法やツールは選べる。しかし、持ち味は選べない。その時点で目を引く「ベストプラクティス」にとかく注目しがちだが、本当の経営者はどうやっても変えられない「持ち味」のほうを重視する。

一方の日本の成り行きも似たり寄ったりだ。1990年代になると、「セオリーZ」はどこへやら、バブルがはじけて日本的経営はもうダメだ、お先真っ暗だ、それにくらべてアメリカの経営はなんと進化していることかという論調が幅を利かせた。実際に、アメリカの真似をして「経営革新」をした企業もあとをたたなかった。それでどうなったか。セオリーGでジェニーンが指摘していることを裏返せば、そのまま近年の日本の経営の迷走ぶりを反省するいい材料になる。

ジェニーンはさらにシビれる話を続ける。セオリーZだの日本的経営だのいっても、それはアメリカから日本へ出掛けていった観察者たちが、グループ討論とか、社歌の合唱とか、工場の笑顔といった表層的なものを見て、「オーマイガッ!これこそ日本的経営の秘密だ!」などと興奮しているだけなのではないか。実務の意思決定の部分では、日本もアメリカも同じ企業経営、さして違わないはずだ。品質管理、生産計画、市場調査、財務管理といった部分で、日米の実務家がやることはほとんどかわらないはずだ、というのがジェニーンの覚めた見解である。非常に客観的でロジカルなものの見方をする人だということがよくわかる。流行のセオリーに惑わされることなく、本質を見よというシンプルなメッセージに僕は大いに感動をおぼえた。