門外漢にも面白く読める指南書

ゴルフの本は読まない。ゴルフをやらないからである。グリップがどうとか、インパクトがどうとか言われても、ちんぷんかんぷん、興味のかけらもない。音楽の本は読む。音楽がスキで、自分でも楽器を演奏するからである。エレクトリックのベースをやるので、ベーシストの演奏についての評論やベースの技術指南書を読むことが多い(ちなみにこの四半世紀ほどBluedogsというロックバンドをやっておりまして、ときどき恵比寿や渋谷でライブをやっております。御用とお急ぎでない方はツイッターの@kenkusunokiでチェックしていただければ幸いです)。ベースの専門誌を読むと、亀田誠治(亀田氏は先ごろ解散した「東京事変」のベーシストにして作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。玄人好みのとんでもないプレイヤー。ジムでたまたまお目にかかる機会があり、「アタックの強さも大切だが、それ以上にスピードが重要」という貴重な教えをいただいた)の弦のアタックとスピードがどうだの、人差し指の角度がどうだの、この曲の28小節目のフレーズがどうだの、アーティキュレーションがああだのと書いてある。こっちにしてみればわりと重要なことなのだが、ベースをやらない人にとってはひたすらどうでもいい話だ。

楠木 建●一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授。1964年東京生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より現職。専攻は競争戦略とイノベーション。日本語の著書に、『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『知識とイノベーション』(共著、東洋経済新報社)、監訳書に『イノベーション5つの原則』(カーティス・R・カールソン他著、ダイヤモンド社) などがある。©Takaharu Shibuya

「指南書」というのはそういうものである。ところが、その分野にまるで関心がない人にも面白く読ませてしまう指南書がごくたまにある。個人投資家向けの株式投資の指南書、『ストラテジストにさよならを』はまさにそういう本である。

ゴルフと同じように、僕は株式投資にはまるで関心がない。株式に関わらず、投資や運用といった方面全般に興味がない。銀行の普通預金口座に放置しておくというのが僕の基本戦略である。この戦略の難点はアップサイドがまるでないことだ。ただし、日常の収入と支出、いま自分にいくらお金があるのかが、通帳を開けば一目瞭然という強力な利点がある。

47年の人生で株式を買った経験は3回だけ。ひとつは創業以来お手伝いをしているある会社からストックオプションを付与され、その権利を行使したとき。その会社はその後上場し、直後はとんでもない高値をつけた。自分の持ち株数に株価をかけてみたらクラクラする金額になった。自分の半径3メートルがいきなりバブル経済に突入した。ところが、キャッシュを手にしたわけではないので、個人的なバブルは単に気分の問題だった。株式投資に詳しい人に「すぐ売れ!」と言われたりもしたのだが、その方面のセンスがまるでない僕は、当然のことながら気分よく目を回したまま全株放置。ご多分に漏れず見る見るうちに株価は急降下。絵にかいたようなとらぬ狸の皮算用状態を何年も安定してキープしている。忘れようとしても思い出せない経験である。あぶく銭は身につかない。世の中、じつによくできている。

あとの2つは自分の考えがあって投資した株なのだが、いずれも古くからの友人が経営している会社。今の株価がいくらなのかも知らない。そもそも投資金額が少額なので、気にもならない(と、ここまで書いたところで、久しぶりに現在の株価をさりげなくチェックしてみた。なんと、2つのうちひとつの株価がわりと高くなっている。イイ気分になったので、引き続き放置することに決定)。

ことほど左様に株式投資に関心ない僕にとっても、『ストラテジストにさよならを』はめっぽう面白い。考えてみれば、音楽が人間の本性を直撃するのと同じぐらい、お金も人間の本性に深く染み入るものである。僕にしても、投資や運用には興味がないとはいえ、カネに興味がまるでないわけではない。というか、嫌いではない(正直に言えばわりとスキ)。株式投資に関心がないのも、それが面倒だということもあるけれど、汗水たらして稼いだカネが自分がまるであずかり知らない理由で減るのがイヤ(つまりはケチ)だというのが本当のところかもしれない(おそらくそれと同じ理由だと思うが、僕は賭け事もまったく興味がない)。