人の本性が剥き出しになるのがカネの話

いずれにせよ、やたらに「人間的」なのがおカネである。カネに対する構えにはその人の人となりが如実に表れる。だから、人前でカネの話をすることははばかられる。正論とか建前では割り切れないのがカネである。稼ぎ方や使い方についての考えや主義は人それぞれだが、そもそもカネそのものがキライ、頼むから勘弁してくれ、なんだったらカネを払ってもいいからあっちに行ってくれ、という人はあまりいないだろう。

カネの話をすると、その人の本性と本能と本質がわりと剥き出しになる。たとえば、ジョージ・ソロス。カネ儲けの現場最前線で、一生を賭けて朝から晩までのべつカネ儲けのことを考えてきたという人である。彼の一連の著作(たとえば『ソロスは警告する』や『ソロスの講義録』)を読むと、資本主義を論じるにしても、その辺の学者の本とは迫力が違う。話が極めて抽象的な本質論に向かっていくのだが、資本主義の人の世のメカニズムがずっと深いレベルで理解できる(気になる)。

もっとあからさまな投資指南書でも、人間の本性を抉り出す快作がある。たとえば土居雅紹(まさつぐ)氏の『勝ち抜け!サバイバル投資術』。これはタイトルにあるように文字通りの投資の指南書、ストレートにテクニックを教示する本であるが、その内容は一言で言ってドストエフスキーばりの「人間悲喜劇」で、実に面白い。バブルはこれまでに一定のインターバルを置いて何度も繰り返されてきた。これからも間違いなくそうである。しかし、ことカネのこととなると、人の世の中はもう絶対といっていいほど「歴史から学ばない」。絵に描いたように同じ大騒ぎの繰り返しになる。新しいバブルが始まると、投資家の背中を押すような「新理論」が発明され、それを聞いた素人が大挙して買いに走り、相場が下げ始めると政治家が「大丈夫」と根拠のない太鼓判を押すともうダメである。結局バブルが崩壊して、魔女狩りが始まるというお決まりのサイクルである。わかっちゃいるけど、やめられない。だとしたら、普段は何をやっても儲からないので静かにしていたほうが得策、10年に1回のバブルのときだけ勝負をすべし、という話である。氏の提唱する投資術が有効かどうかは確かめようがないが、世の中とはこういうものだ、人間とはこういうものだ、という著者の洞察にはコクがある。これにしても、カネを相手にしている話だからだろう。下品な結論ではあるが、やっぱりカネの話は面白いのである。