理論に頼るな、人間を見ろ

こういう話をすると、理論を真っ向から否定し、まるで機械みたいに成果を追求する経営がジェニーン流なのか、と早合点する方もいるかもしれない。しかし、実際はその真逆である。この人の話が極めて説得的なのは、冷徹な経営哲学の根本に、人間に対する深い洞察があるからだ。ジェニーンの経営哲学はセオリーYやZ以上に「人間主義」といってよい。

彼は「すべての良い経営者の最も重要かつ本質的な要素は情緒的態度である」と断言する。経営の「理論」は社会「科学」の産物である。社会科学は自然科学のアナロジーで動いている世界。だから、とかく人間という変数を軽視しがちである。その最たるものが第二次世界大戦後にもてはやされた「時間動作研究」だ。これは、工場での流れ作業や、オフィスでの事務仕事に含まれる動作と手順を計測・分析して能率向上のための作業標準をつくるための研究である。ジェニーンは、これを「科学まがいの大騒ぎ」で「無意味の一言」と切って捨てる。その手の「似非科学的」な手法は、低いレベルの反復的な作業にしか適用できない。そんな「科学」はなくても、職長や監督が有能な人間であれば、それぞれの仕事の現場で能率を上げさせることなどいくらでもできる、というのが彼の見解である。

ジェニーンの人間主義をうかがわせるもうひとつのエピソードが、PPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)に対する彼の反論だ。いまでこそ古典的な経営分析手法だが、PPMは当時としては「最先端の経営理論」だった。ご存知の方も多いと思うが、かいつまんで言うと、その事業の市場成長率と自社のシェアを軸に、自社が保有する複数の事業を「スター」(花形)、「キャッシュ・カウ」(金のなる木)、「クエスチョンマーク」(問題児)、「ドッグ」(負け犬)に分類し、会社全体の資源配分を最適化していくという手法である。

ジェニーンは、こんなものにはとてもついていけないと、なかば呆れて書いている。「そんな方式はうまくいくはずがないばかりでなく、われわれが20年間ITTで築いてきたもの――合意された一連の目標に向かって、全速力で前進する、全体がひとつのチームとなった経営の信頼――を台なしにしてしまうだろう」。

例えば、成熟した市場で高いシェアを持つ事業はキャッシュ・カウと位置づけられる。そういうレッテルを貼られた事業部で、自分たちが上げる利益はよそに持っていかれるのを見ながら働いている従業員が面白いわけがない。ドッグ(負け犬)がドッグになったのも、経営者の失敗の結果だ。それを低成長・低利益とみるや見切って売れというのは、経営責任の放棄に他ならない。なぜその事業が負け犬なのかを突き止めて、犬は犬でも優秀なグレイハウンドに仕立てる努力をするのが経営だ、とジェニーンは言う。

こういう人間中心の考え方こそが、ジェニーンの経営の根幹にある。彼はITTを当時としては世界最大のコングロマリットに育て上げた。しかし、着任したときのITTについての知識はゼロ「以下」だったと告白している。つまり、それまで自分が外にいてITTについて読んだり聞いたりしていたことは、間違いだらけであったというわけだ。組織図を見ただけで会社なんてわかるものではない。生きた人間の日常的な相互作用がITTという会社の正体であって、その80%まではマネジメントの顔を突き合わせての会議によって生じたものだった、としみじみ振り返っている。

組織の枠組みよりも、そこで働いている人たちの気持ちが会社を動かす。情熱こそが事業の推進力となる。考えてみれば当たり前のことだが、この本のメッセージは古臭くなるどころか、書かれた当時よりもむしろ今日的な示唆に富んでいるといえる。ジェニーンが経営をしていた当時とくらべて、現代は情報技術も飛躍的に発達し、仕事のほとんどのやりとりをメールですませることが可能になり、電話会議もテレビ会議もやりたい放題。その結果、「人間こそが主役」というこの当たり前の真実が希薄になって、組織を機械的に動かせるかのような誤解がますます広まっている。

本書の巻末近くに、ジェニーンが「経営についての個人的な勧め」として自らのビジネス経験を通じて確信するに至った原理原則を簡潔にまとめている。『一勝九敗』の回でも述べたように、原理原則というものは経験を煎じ詰めたものであるので、字面だけ読むと当たり前のことなのだが、これを読むだけでも、いかにジェニーンが「自分主体」「人間主体」の人であったかが感じ取れるだろう(以下はまとめをさらにまとめたものである)。

・物事がいつでもなされるやり方に自分の想像力をとじこめるのは大いなる誤りである
・本来の自分でないものの振りをするな
・事実そのものと同じくらい重要なのは、事実を伝える人間の信頼度である
・本当に重要なことはすべて自分で発見しなくてはならない
・組織の中の良い連中はマネジャーから質問されるのを待ち受けている
・物事の核心を突く質問をいやがるのはいんちきな人間に決まっている
・とりわけきわどい決定はマネジャーのみが行わなくてはならない

誤解のないようにお断りしておくが、僕はこの人が「いい人だった」とかいう気はさらさらない。はっきりいえば、お世辞も言い訳も一切通用しない、経営の裏も表も知り尽くした、とにかく「おっかないジジイ」である。人間主義の人である半面、仕事についてはいたってドライでブラグマティック。彼にとって、経営とは成果以外のなにものでもない。経営論とはつきつめれば3行で終わると喝破している。

「本を詠むときは、初めから終わりへと読む。
ビジネスの経営はそれとは逆だ。
終わりから初めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ。」

そしてこの本は、「やろう!」と題されたわずか1ページ足らずの最終章において、こんな言葉で締めくくられるのである。

「言葉は言葉、説明は説明、約束は約束……なにもとりたてて言うべきことはない。だが、実績は実在であり、実績のみが実在である――これがビジネスの不易の大原則とだと私は思う。実績のみが、きみの自信、能力、そして勇気の最良の尺度だ。実績のみが、きみ自身として成長する自由をきみに与えてくれる。覚えておきたまえ――実績こそきみの実在だ。ほかのことはどうでもいい。」

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