“暗黙の了解”が理解できない

ですから、目の前で誰かが失敗したときに、周りで見ていた人は「残念だったね」「ドンマイ!」といった励ましの言葉を掛けるものですが、ASDの人は、「致命的な失敗をしてしまいましたね」というようなことを“素直に”言ってしまうのです。本人には何ら悪気はありません。目の前の失敗した人の感情を汲み取ることはできず、ただ客観的事実をありのまま口にするのです。

しかし、一般的に、こういう状況で失敗した人にどういう言葉を掛ければいいかということは“暗黙の了解”で、みんなわかっています。その“暗黙の了解”が、ASDの人には理解できません。そういう声掛けをすることで、相手が傷つくということも想像できないのです。私たちが、他人との関係性を良好に保つために使う、“方便の嘘”をつくこともありません。

ASDの人にとって重要なことは、何のフィルターも通さない、純粋な客観的事実だけなのです。私たちは、ある出来事が目の前で起きたとき、その事実を何の感情ももたずに受け止めることはできません。タイミングや周りの状況、関わった人の思いなどを汲んで、事実を“色眼鏡”を掛けて見てしまうものです。そこで感情が湧き起こり、言葉をついつい選んでしまう。それはごく当たり前の対応だといえるでしょう。

グループ活動に参加していない人のイメージ
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相手によって態度や言葉遣いを変えることはない

しかし、ASDの人は“色眼鏡”を掛けません。意志をもって掛けないようにしているのではなく、“色眼鏡”をもっていないのです。ですから、状況に応じたり、人の気持ちを察したりして、相手を傷つけないような言い回しをするという発想がないのです。

しかし、このことは裏を返すと、変な思い込みや偏見をもっていないということにもなります。誰とでもフラットな関係を保ち、相手によって態度や言葉づかいを変えることもありません。ある意味、誠実だといえるのではないでしょうか。

確かに、思ったまま、見たままを口にしてしまうことで、相手に不快な思いをさせてしまうこともあるでしょう。しかし、どういうときに相手を不快にさせてしまうかを本人に説明し、覚えてもらうことで、不快にさせてしまう言動のいくつかは回避させることができます。