信頼関係が築けないわけではない
たとえば、わが子に愛情をいっぱい注いで接しているのに、子どもの反応は鈍く、そっぽを向かれてしまうので、悩んだり、むなしい気持ちになったりする親の話をよく聞きます。最も身近な母親にですら、そうした関わり方しかしないのですから、赤の他人との距離感はさらに遠くならざるを得ません。人と人とが知り合ってだんだん親しくなり、愛着や信頼関係を築いていくといった、ごく自然な人間関係のプロセスを期待することは難しいのです。
しかし、ASDの人がまったく他人に関心を示さないのかといえば、そうではありません。定型発達の子どもと同じように親にべったり甘えはしませんが、親が信頼のおける存在であることはある程度認識しますし、愛着も彼らなりに感じているようです。また、自分の理解者や一緒にいて安心できる人に対しては、一定の親愛の情も抱きます。
他人への関心が薄いのは確かですが、他人を完全に拒絶しているわけではないということを周りの人は理解すべきです。
相手の気持ちに寄り添うことができない
特性②相手の表情や気持ちが読めない
ある私の患者さんは、妻が身内を亡くして悲しみに暮れているときに、その横で、好きなテレビ番組を見ながら大声を上げて笑っていました。非難されてもおかしくない状況といえますが、まさに、ASDの人にはこうした事態が起こります。
人の表情から喜んでいるのか、悲しんでいるのかが読み取れないのかもしれませんし、あるいは、経験上読み取れるようになっていたとしても、相手の気持ちに寄り添って「つらかったね」と声掛けをするといった行動に至らないということです。
身内を亡くした当事者である妻の悲しみとまったく同じ感情を、Bさんがもつことは不可能ですから、彼が妻と同じ気持ちになって、その悲しみを慰めるような行動をとることが難しいのは、ある意味、当然といえるかもしれません。一般の人であれば、まったく同じ気持ちにはなれないとしても、できるだけ相手の感情を想像して、その思いを受け止めようとしますが、ASDの人は、自分以外の人に成り代わった状態を想像することができません。