父親たちの収入格差をどう解決するか
本書では新自由主義の文化に焦点を当て、それが企業家的な「個人」の自由を称賛する一方で「社会」を軽視することの問題点を論じている。ただし、個人をとるか社会をとるか選べ、というのもまた極端な話である。個々の家庭のなかで家事や育児をどのように分担するべきか話し合うことも重要だし、社会のなかで子育てをサポートする体制をどのように充実させていくかという問いも大切だ。
私は「個人」のレベルでの選択が重要ではないと主張しているわけではない。私が提言したいのは、「個人」のレベルでのジェンダー平等を「社会」のレベルでのジェンダー平等につなげることである。
「イクメン」というライフスタイルが人的資本への投資として称賛される一方でケア労働者の収入が不当なまでに低い現状を打破するためには、どうすればよいか。保育園などで痛ましい事件が起こり続けている状況を変えるためには何ができるのか。社会における育児の問題に目を広げて声を上げれば、その成果は必ず自分たちに返ってくるはずである。
育児は楽しいものでなくてもよい。仕事の役に立たなくてもよい。そして男性がひとりでケア労働の重責を担う必要もない。「イクメン」という言葉に含まれた余分な価値観をふるい落とし、子どもをケアすることそれ自体が持つかけがえのない意味に向かい合ったとき、私たちははじめて「父親」になるのではないだろうか。