なぜ家庭での虐待はなくならないのか。精神科医の益田裕介さんは「かつてに比べて子育てがハイレベル化する中、親が『正しい子育て』を押し付けすぎると、教育虐待が起きる。子育てはある程度で十分と割り切ることも重要」という――。(第1回)

※本稿は、益田裕介『精神科医が教える 親を憎むのをやめる方法』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

男子高校生の勉強
写真=iStock.com/taka4332
なぜ「中高は公立で十分」と言いづらくなったのか(※写真はイメージです)

「親ガチャ」には一定の妥当性がある

社会ではしつけや学校教育は親の義務となります。

ただ近年、その義務は、幼稚園から大学までに限らなくなっています。

いわゆる「意識の高い親」は、子どもが将来どのような職業につくか、そのためにはどのような教育を受けさせるべきかを考えています。

そのため、就職活動や、場合によっては転職まで面倒を見るような親も珍しくありません。

現代においては、もっとも身近な社会人である親のサポートがあるかないかで、子どもの将来が大きく変わります。

そう考えると、近年世を騒がせている「親ガチャ」という概念にも、一定の妥当性があると言えるかもしれません。

親が子どもの社会的成功や自己実現まで考えてサポートできるかが問われる時代なのです。

それを左右するのは、親の知識と経済力です。

要するに、現代の親子問題とは、「格差問題」をはらむものでもあるのです。

子育ての「密室化」

この問題と密接に結びついているのが、子育ての「密室化」です。

これも、時代が進むほど顕著になっている傾向のようです。

戦前まで、子育ては親だけの問題ではありませんでした。家には祖父母もいましたし、家の外の大人たちも子育てに参加しました。

「子どもは地域全体で育てるもの」という意識が自然に共有されていたのです。