育児に積極的に参加する男性「イクメン」は、もっと増やすべきだと語られがちだ。フェリス女学院大学の関口洋平助教は「イクメンという言葉は『育児は仕事の役に立つ』といった考え方とあわせて使われる。だが、育児の経験を人的資本に変換する必要はないはずだ。なぜ子どもをケアすること自体に価値を認められないのだろうか」という――。
※本稿は、関口洋平『「イクメン」を疑え!』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
コロナ禍の育児は理想通りにはいかず…
2020年の春、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて最初の緊急事態宣言が出されていたときの話である。我が家では小学生と保育園児のふたりの子どもを世話しながら、リモートで仕事をすることになった。夫婦で交代して子どもをみながらフレキシブルに仕事を進められるとよいのではないか、あわよくば学校で学べないようなことも教えたい――そんな目論見が甘かったことを思い知らされるまでに、そう時間はかからなかった。
子どもがふたりいると、ほとんど自然に揉めごとが起きる。そして、それを仲裁するのか、放置するのか考えるだけでもいちいち集中力が削がれる。子どもたちが外に出て遊びたくても滅多にタイミングが合わず、彼らのフラストレーションはたまるばかり。昼の休憩中には妻と一緒に4人分の食事を手際よく作り、食べさせ、後片付けをしなければいけない。昼寝する子どもと一緒に寝落ちしてしまったことが何度あっただろうか?
「育児をする男性」は格好良いのか
結局、こちらが仕事に集中したければ、動画配信サービスで子どもにアニメや映画を見せておくくらいしか選択肢がない。こんなことを育児と呼んでよいのだろうか、そうぼんやり考えながらも毎日を乗り切るだけで精一杯だった。子どもと過ごした時間はかけがえのないものだったけれど、緊急事態宣言が終わったときには正直安堵した。
私はつねづね、「イクメン」という言葉に違和感を持っていた。この言葉に込められた「育児をする男性は格好良い」という軽いニュアンスが、どうにも好きになれなかった。けれども、その言葉の何が本当に問題であるかをはっきり言語化できたのは、このときだったのかもしれない。