「子育てをビジネスに応用」への違和感
また、福祉国家の崩壊を個人のレベルで救う白人中流階級の父親がヒーローとして位置づけられる一方で、黒人や労働者階級の父親が国家の財政に負担をかける「デッドビート・ダッド」としてスティグマ化されることも忘れてはならない。
男性や父親が必ずしも一枚岩ではないという前提に立ち、「父親の育児」というジェンダーの問題が人種や階級といった要素とどのように関係しているのかを理解することが重要である。
父親の子育てが階級の問題でもあるという観点は、近年の日本における「イクメン」文化を批判的に考察するためにも欠かせない。
第七章で論じているように、2010年以降に出版された「イクメン」を礼賛する本の帯には、「子育ての経験が仕事力を高める!」、「育児は21世紀のビジネススキル」、「残業大国ニッポンの働き方は、『共働き世帯』が変えていく」、「仕事ができる男の、子育てのコツを網羅!」といったキャッチコピーが書かれていた。ある新書のタイトルは、ずばり『育児は仕事の役に立つ』だ。
これらの本で問題となる男性のライフスタイルとは、アッパー・ミドルクラス男性のライフスタイルなのだ。けれども、育児に関する情報を必要としているのはエリート層の男性ばかりではないはずだ。育児支援は低所得者層の父親にとってこそ重要であるとも言えるはずである。
一部の「イクメン」を称賛する副作用
子育てのスキルが仕事にも応用可能であるという発想は、ケアを人的資本の一部に歪曲化してしまう。
育児も仕事の役に立つという主張は、男性の育児が日本社会になかなか根づかない現状を打破することを目的として生まれたものである。子育てをする男性が職場において十分にサポートされていない日本社会の現状に鑑みれば、そのような主張が必要とされてきた背景は理解できなくもない。
けれども、そのような主張には副作用もあるはずだ。現実問題として、育児が仕事の役に立つかどうかは職種や職場でのステータスによって大きく異なる。そのような側面を無視して育児の経験を人的資本に変換することができるエリート層の男性だけを称賛すれば、それは男性間の格差を助長してしまうかもしれない。育児は「仕事の役に立つから」行うべきなのではなく、家庭の、母親の、子どもの、そして社会のために行うべきことなのだ。