野村から「ちょっと投げてみろ」と声をかけられ…
すぐに問い合わせて、友だち数名と練習会に参加した。会場は神宮の室内練習場だった。結局、友人たちはみな他のチームに入ることになったけれど、藤森はできたばかりの新チームに魅力を感じて港東ムースに入ることを決めた。
(プロが使う場所で練習ができて、しかも監督はあの野村さんなんて、最高だな……)
ムース1年目。一からのスタートだった。
監督は「あの野村さん」だ。テレビ解説で何度か顔を見たこと、声を聞いたことはあった。現役時代の記憶はなかったから、特別な興奮や感動があったわけではないけれど、周りの大人たちがみな上気した顔で、「野村さんが監督なら安心ね」と話している姿は、強く印象に残ることになる。
入団早々、神宮室内練習場でのことだった。
全選手が内野に集められて、ノックを受けていた。藤森もその中に交ざって軽快に打球を処理していた。ノックが終わり、次の練習に移行する際に野村の前を通り過ぎる。ブルペンの前でのことだった。
「おい……」
初めて、野村から直接、声をかけられた。
「おい君、ちょっと投げてみなさい……」
「君はこれからピッチャーをやりなさい」
最初はまったく意味がわからなかった。ただ、野村の前を通り過ぎようとしただけだったのに、何の前触れもなく「投げてみなさい」と言われたからだ。
さっそく、ブルペンに入って藤森は力いっぱいボールを投げ込んだ。野村は黙ってそれを見ている。やがて、野村が口を開いた。
「君はピッチャーをやっていたのか?」
当然、野村は藤森の球歴などまったく知らなかった。
「6年生のときにはピッチャーでした」
その言葉を聞くと、野村は「君はこれからピッチャーをやりなさい」と静かに言った。他に何も説明はなかった。
(監督は、どうして僕がピッチャーだったってわかったのだろう?)
胸の内に小さな疑問が芽生えたけれど、「あの野村さん」から潜在能力を認められたようで藤森は嬉しかった。
この日から、彼はピッチャーとしての野球人生を本格的に始めることになった。