なぜ日産は「ルノー傘下」となっていたのか
日産は1990年代後半の経営危機により、1999年にルノーとの資本提携を決定した。ルノーが日産株の43%を持ち、日産がルノー株の15%を持つという、日産が事実上ルノーの傘下に入る形で経営再建を図ることとなった。
ルノー傘下の日産では、カルロス・ゴーン氏がCEOに就任。ゴーン氏の経営の初期は、デザインには注力したものの、車種ラインアップの縮小整理やコストダウンのほか、販売の面においては薄利多売のコストリーダーシップ戦略を採ってきた。ゴーン氏の功罪については賛否が分かれるところであろうが、日産の再建に少なからず貢献をしてきたところは異論がないと思われる。
ゴーン改革初期に日産がデザインに注力したのは、自動車産業の特性を考えると正しい判断だったと言える。20世紀の日本の主力産業は家電と自動車と言われたが、めまぐるしく技術が非連続に変化するエレクトロニクスと異なり、自動車は基本的には連続的な技術変化の中で商品開発を行ってきた。
ゴーン改革の「デザイン全振り」は悪手ではない
例えば、音響機器といえば、100年前は蓄音機、そこからオープンリールのテープレコーダー、コンパクトカセット、CD、MD、MP3、ストリーミングと、用途は同じでも全く出自の異なる技術が短期間に登場してくるのがエレクトロニクスだ。だからこそ電機各社は技術開発に力を注ぐし、日本の電機メーカー各社は技術革新だけが差異化戦略だと考えてきた。
一方、自動車はこの100年の間に大きな技術変化はなく、基幹となるパワートレインはガソリンかディーゼルの内燃機関だった。産業における価値は、技術がもたらす機能・性能に対する価値である「機能的価値」と、感性的情緒的な価値である「意味的価値」とに大別できる。
大きな技術的変化を繰り返してきたエレクトロニクスメーカーが機能的価値を連続的に訴求してきたのに対して、機能的価値の変化が少ない自動車という商品においては、デザインや居住性、ステータス性のような意味的価値が重要な産業となった。意味的価値が重要な自動車産業において、ゴーン改革初期のデザイン全振りという戦略はあながち悪手ではないと言える。