この話には後日談がある。教授になった頃、同僚から「小宮山さんは若い人からいろいろ言われても、腹を立てないから偉い」と感心されたことがある。それに対してこう答えた。

「いや、そうじゃないんです。助手たちから、研究室の運営について嘴を突っ込まれると、私だって腹は立つ。でも、そこで一喝した途端、次から彼らは重要な情報を私の耳に入れなくなるでしょう。それでは私が“裸の王様”になってしまうので困る。腹は立ってもそれを表面に出さない。つまりは怒らないことにしているんですよ」と。

これは結構重要なことだと思っている。いま経営者や政治家など組織のトップの立場にある人で、現場の状態を正確に把握している人がどれだけいるだろうか。

私が東大の総長を務めていたときの話である。大学まで出勤する際、運動不足を解消するため、少し離れた地点で車を降り、総長室まで20分くらい歩くようにしていた。そうすると、教授や准教授から職員まで、いろいろな人とすれ違うことになる。2、3分立ち話を交わすだけでも、密度の濃い情報収集ができたものだ。

たとえば大学の上層部が物品の購買手続きのやり方を一変させたことがあった。ある朝、たまたま出会った職員にそのことを尋ねると、「初耳だ」という。ここから、職員には伝わっていないことがよくわかる。そこで担当者に「職員向けの説明会はやらないのか」という提案ができる。

総長という立場にあると、ふだんは理事、副学長といった運営に直接関わる人たちとしか話さないことが多い。総長室に閉じこもっていると、生の情報に接する機会がなく、全体像を把握できなくなってしまいがちだ。

組織のトップの場合、自分の頭で考えるということは、自分で決断するという行為と密接に結びついている。そのために不可欠なのがこうした生の情報である。その重要性を認識しているリーダーが日本にどれだけいるか。大学や企業ばかりではない。これは日本の国政にも当てはまる大問題なのである。

※すべて雑誌掲載当時

(構成=荻野進介 撮影=尾関裕士)
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