課題と答えをセットにして考えるためには、両者の間を行き来しつつ、問題の全体像を俯瞰する必要がある。それができたからこそ、私たちは独自の提案をつくりあげることができたのだ。

三菱総合研究所理事長
小宮山 宏

1944年、栃木県生まれ。東京大学大学院工学系研究科化学工学専攻博士課程修了。工学博士。2005年、東大総長に就任。「東京大学アクションプラン」を発表して改革を推進する。09年より現職。著書は『「課題先進国」日本』『東大のこと、教えます』など多数。

そのときに不可欠なのが、各分野の一流の人たちとの議論である。「ビジョン2050」は、それぞれの分野の俊英と交わした本音かつ本気の議論がなければできあがらなかっただろう。

年齢が若く優秀な人ほど議論するのを怖がる傾向があると、このごろ特に感じている。それは、言い負かされるのが嫌だからだ。私が東大で教えていた時代、「お利口競争はやめろ」とよく学生に言っていた。

優秀な高校の出身者ほど、大学に入った後も「俺のほうが知識が豊富だから、あいつより頭がいい」と決めつけたり、揚げ句の果てには「僕は人との議論で負けたことがない」と豪語したりする。愚かなことである。議論は相手を言い負かすためにやるものではない。自分の視野を広げ、知識が浅かったり不十分だったりする部分を再認識し、補うためにやるものだ。

若い頃は、これは他人に負けないという専門分野をひとつ持つことすら難しい。ただ、本気で自分をさらして人と議論を続けていくことで、自信のある分野ができてくる。逆に年齢を重ね、ある分野で成功し始めると、鋭い指摘を受けることもあるだろう。そんなときは、多少痛くても我慢することだ。

自分は完全ではない。いつでも人に教えを請い、刺激を受けたい。そうやって一生学び続ける態度を取れるかどうか。自分の頭で考えられる人は、決して自説に凝り固まってはいない。

他人に教わることが重要だということは、助手時代に教授とのやり取りを通してあらためて気づかされた。このときも、いま思えば自分の頭で考えた経験のひとつである。

当時、教授から「つまらないことに腹を立てるな」とよく諭されたのだが、何度も同じことを言われているうちに、「あれ、おかしい」と思い始めたのだ。ある状況におかれた場合、釈迦やキリストのような聖者でない限り、腹は必ず立つものである。そう考えると、「腹を立てるな」というのは、「がまんしろ」という意味に等しいということだ。