国から中止の要請

東大の合格発表の方法は、次のように分けられる。

①49~75年 受験番号、氏名が掲示。記者に出身校を発表。この期間、「東京大学新聞」では、全氏名、出身校を掲載していた(49年は未掲載。53年は高校名なし)。

②76~86年 受験番号、氏名が掲示(82~86年、氏名はカタカナで表記)。以後、記者に出身校は非公表。出身校の所在地は公表。

③87~99年 受験番号と氏名だけ(氏名は漢字に戻る)。以後、出身校の所在地は非公表。

④00年以降 受験番号のみ。

75年、文部省は東大に出身校名公表の中止を要請した。理由は「受験戦争をあおる」から。一方で、日教組の教育研究集会でも東大合格報道に対して厳しい批判が出ていた。東大の入試広報委員長はこう話している。

「報道機関が“合格者ベストテン”などの特集を組み、いたずらに入試競争をあおる結果を招いているので、その防止措置」(『週刊現代』、75年10月16日号)。もっとも事務的な手間を省きたい、という現実的な理由もあった。

まるで競馬新聞のノリ

76年は事前予想まで出る過熱ぶりだった。

『サンデー毎日』(2月22日号)では、「河合塾の“特別模試”にみる東大51年度合格“有力”者高校別ベスト30!」を掲げている。河合塾の模擬試験「東大入試オープン」の成績優秀者の在籍(出身)校上位を並べたものだ。前年の同模試でAランクに認定された東大受験生のうち、7割以上が合格している。

これに対抗するかのように、『週刊読売』(76年3月20日号)の「51年東大合格者予想」では、「純粋数学的手法」を用いて順位をはじき出している。「1着、教育大学附属駒場133人。2着、灘高125人……」。競馬新聞のノリである。

記事では「東大合格者数の予想に“数学”が登場したところが画期的なのだと思っていただきたい。たとえば、競馬の予想にコンピューターが登場するようなものだ」と自画自賛する。