新聞読者からのまっとうな批判

こうした動きに『週刊新潮』(同年3月25日号)が「東大合格者『出身高校別速報』スクープにむらがるマスコミ狂騒曲」と特集を組んでこう皮肉った。

「ふだん、受験戦争や学閥社会、あるいは東大中心主義を批判する新聞社の雑誌とは思えぬほどの力コブの入れようである」。

『週刊新潮』が指摘するような、同じ発行元の新聞と雑誌で生じる報道のねじれについては、読者からも批判が寄せられていた。このことについて、「朝日新聞」は「読者と朝日新聞」欄で次のような記事を掲載した(77年4月10日)。

「学歴社会や異常な受験競争といった教育のゆがみに対し本腰を入れて取り組んでいる新聞が、有名大学の合格者名を地方版にのせたり、東大合格者数の高校別ランキングを記事にしたりするのは、どういうことか。とくに、同じ新聞社で出している週刊誌が大学合格者全氏名と高校別一覧にするような特集を組むのは、報道姿勢として筋が通らないではないか」という読者からの質問を紹介。

新聞と雑誌スタンド
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朝日新聞の苦しい言い訳

社会部長と『週刊朝日』編集長の連名でこう答えている。

「世の中の相当な範囲に強い関心のある情報を、無理におさえることは考えものです。入試情報も、かりに新聞社が伝えなくても、受験生や教育関係者、受験産業などの間には何らかの形でたちまち流れるでしょう。情報のヤミ市場が立つことにもなりかねません。それくらいならば、というのが私たちの率直な考えです。

(略)マスコミの中の『主食』としての情報バランスに特に留意しなければならない新聞では、この種の実用情報の扱いにおのずから限度があります。週刊誌の場合は、その号のテーマに関心の強い読者に選択買いをしてもらう性質もあるだけに、重点的な情報提供を本来の機能としています」

万人を納得させる理屈としては弱すぎる。いいわけがましく聞こえるだけだ。東大合格者別高校一覧という情報を知りたい読者がたくさんいる。そこに商売が成り立つから報道する。それだけのことである。

「情報のヤミ市場」というおどろおどろしい幻想を振りかざして、正当化しようとするのは見苦しい。新聞自らを「主食」と定義づけてしまう傲慢さ、「教育の正常化」を進めるという思い上がりがあるから、後ろめたさを感じてしまうのだろう。