戦前の日本で最高峰の学校は「第一高等学校(旧制一高)」だった。東京帝国大学進学の予備教育を行う学校で、現在の東京大学教養学部の前身である。そんな旧制一高の合格者は、どんな学校の出身者だったのか。教育ジャーナリストの小林哲夫さんが当時の状況を紹介する――。(第1回)

※本稿は、『改訂版 東大合格高校盛衰史』(光文社新書)の6章「東大合格高校の歴史VI 前史、旧制一校受験編」を再編集したものです

有形文化財(建造物)に指定されている「東京大学教養学部旧第一高等学校本館(時計台)」(東京都目黒区)(写真=CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
有形文化財(建造物)に指定されている「東京大学教養学部旧第一高等学校本館(時計台)」(東京都目黒区)(写真=CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

政財官学各界でエリートを輩出した「旧制一高」

神聖なる儀式だった。

1950年3月25日、「第一高等学校」の看板が、厳かに外されようとしていた。場所は、現在の東大駒場キャンパス正門である。

小林哲夫『改訂版 東大合格高校盛衰史』(光文社新書)
小林哲夫『改訂版 東大合格高校盛衰史』(光文社新書)

これをもって、旧制第一高等学校(一高)が東京大学に生まれ変わった、と単純に位置づけることはできない。

東京大学百年史』によれば、旧制の東京高等学校、東京帝国大学などが「包摂」されて、東大が作られたとされている。現実には、一高が、東大教養学部の基礎を築く中心となっていた。たとえば、教養学部のカリキュラムは、一高時代の名残をとどめており、教員も4割近くは一高で教鞭をとっていた。

戦後の学制改革直前まで、教育課程のルートは多様化していたが、代表的なものが6533制である。小学校6年、中学校5年、高校3年、大学3年。現在の6334制に学年をあてはめると、旧制中学4年と5年(15、16歳)が新制高校1年と2年に、旧制高校1年(17歳)が新制高校3年にあたる。

そこで、現在の高校から大学への受験を、旧制中学から旧制高校への受験にスライドさせてランキングを作ってみた。

わかりやすくいえば、日比谷高校からの東大受験を、旧制の府立第一中学から第一高等学校の受験に置き換えたわけである。もちろん、旧制中学と新制高校、旧制高校と新制大学を同一視することはできない。それぞれ性格が異なるまったく別物の教育機関であることを留意してほしい。