1970~90年代、週刊誌による東京大学の合格者報道は過熱していた。教育ジャーナリストの小林哲夫さんは「現在では考えられないやり方で受験者の個人情報を収集していた。多くの批判はあったが、合格報道号の売れ行きは良かった。2000年までそうした取材は続いた」という――。(第2回)

※本稿は、『改訂版 東大合格高校盛衰史』の「14章 東大合格報道史」の一部を再編集したものです。

東京大学の2次試験・前期日程の合格発表を訪れ、自分の番号を指さす受験生。前期の合格者数は3018名=2019年3月10日、東京都文京区の東京大学・本郷キャンパス
写真=時事通信フォト
東京大学の2次試験・前期日程の合格発表を訪れ、自分の番号を指さす受験生。前期の合格者数は3018名=2019年3月10日、東京都文京区の東京大学・本郷キャンパス

マスコミの東大合格号はいつ始まったのか

70~90年代まで、週刊誌が東大合格者氏名一覧を掲載していた。受験戦争をあおるものという批判がある一方で、多くの読者が関心を寄せていた。

現在、「東大合格者氏名一覧」はなくなっている。00年に東大が合格発表のとき、受験番号だけで氏名を公表しなくなったからだ。しかし、「東大合格高校一覧」は『サンデー毎日』『週刊朝日』の2誌が続けている。

そもそもマスコミの東大合格号はいつから始まったのだろうか。

新聞に合格者実名が載っていた時代

商業誌での「東大合格者高校別一覧」は、『螢雪時代』(旺文社)が最初である。49年からスタートした。『高3コース』(学研)もその後を追う。

新聞では、50年代から「朝日」「毎日」「読売」の各紙がときおり東大合格校の上位10校を載せている。なかでも紙面を大きく使ったのが、「毎日」だった。

60年の東大発表では、東大合格者の上位20校、東工大、北大、東北大、名古屋大、京大、阪大、広島大、九州大の上位10校を掲載している。

「兵庫の灘高(昨年12位)、愛知旭丘高、広島大付属高(いずれも昨年は20位以下)などが進出、かつて夏休みの集団予備校入学で話題をまいた愛媛県の愛光学園高も(16人)24位へとのし上がってきた」(「毎日新聞」、60年3月28日)。

新聞の地方版、地方紙ではこのころから、地元の高校からの東大合格者氏名を掲載している。この場合、合格者情報は地元の高校や塾から寄せられたケースが多い。地方版や地方紙での氏名掲載は90年代まで続いた。

週刊誌では64年、『サンデー毎日』の「これが東大合格ベスト20高校」が初めてとなる。

70年代になると、『週刊朝日』『週刊読売』『週刊現代』『週刊サンケイ』が東大合格者出身高校報道市場に参入する。4誌とも合格者氏名を掲載した。このころ、氏名、合格者別高校ランキングは容易にできた。東大がすべて公表してくれたからである。

しかし、70年代半ば以降、東大から合格者情報が伝わらなくなる。00年からは合格者氏名が非公表となり、メディアは自力で合格者一覧を作らなければならなくなった。