「世襲政治」に野党の追及が甘いワケ
岸田首相は就任当初、アベノミクスで拡大した貧富の格差を是正する分配政策を進める「新しい資本主義」を打ち出したが、いつのまにか「分配」よりも「投資」の重要性を説くようになった。
昨年暮れからは米国から敵基地攻撃能力を持つトマホークを大量購入して防衛力を抜本強化することに「歴史的役割」を見いだし、その財源を確保するための増税を掲げている。当初の「新しい資本主義」は口先だけだったのか。岸田父子の言動は「世襲政治家に庶民の気持ちは理解できない」という主張に説得力を与えているように見える。
世襲政治家は代々続く強力な選挙地盤だけでなく、政治団体を受け継ぐことで相続税を逃れて政治資金を引き継ぐこともできると指摘される。「親の七光」で政界入りが相次ぐ世襲政治で活力を失った自民党を激しく攻め立てて取って代わるのが野党第一党の役割なのだが、どうも立憲民主党の腰が定まらない。
1996年に誕生した民主党は当初、小選挙区・二大政党制の下で政権交代を目指し、自民党の世襲政治を厳しく攻撃した。この背景には、エリート官僚や弁護士、松下政経塾出身の政治家志望者たちが衆院小選挙区から出馬するため、世襲を中心に選挙区が埋まっている自民党ではなく、候補者が足りない民主党を選択したという事情がある。
決別を公約にして政権交代を果たしたが…
前原誠司、枝野幸男、野田佳彦、細野豪志の各氏ら民主党ホープをはじめ非世襲の若手議員たちは自らの庶民性をアピールし、自民党の世襲政治と対比させた。菅直人氏の長男源太郎氏が2003年と05年の衆院選で父親の選挙区のある東京ではなく岡山1区から出馬したのは、世襲に厳しい党内世論を踏まえたものだった。
民主党は親と同じ選挙区から出馬することを禁じて世襲政治と決別する姿勢を鮮明にし、2009年に政権を奪取したのである。
この原則が崩れたのは、立憲民主党が旗揚げした2017年以降である。同党の羽田雄一郎参院議員の死去に伴う21年4月の参院長野補選に、立憲は弟の羽田次郎氏を公認して当選させた。枝野代表は「世襲だからと機械的に否定するのは硬直的だ」と明言。衆院北海道3区の荒井聡元国家戦略相の後継に長男を擁立する際には「荒井氏のご子息であることとは別に個人としてさまざまな実績がある」と強調した。
既得権益を擁護する守旧派になった証し
野党から世襲批判が聞こえなくなったのは、かつて民主党の若手論客として頭角を現した議員の多くが50~60代のベテランとなり、自分の子息らへの世襲を内心で考え始めたことが要因ではないかと私はみている。