観光客の食べ物として生き残る
そんなきしめん冬の時代に、ニーズをうまく獲得した数少ない成功例が「総本家えびすや本店」です。
「2010年前後から周辺のホテルに営業をかけるようにしたんです。おかげで土曜祝日(日曜は休み)は外国人を含めて観光客が増えた。普段はきしめんの割合は全体の2割くらいですが、土曜祝は5割を占めるほどになりました。うちのきしめんは今、850円。地元の人はこの値段では食べてくれない。うちはもう食堂というより観光業になっています」(3代目・中山さん)
同店が観光客をターゲットにしたのは、繁華街のど真ん中という立地も活かしてのことでした。これは同時に“地元の人はきしめんを食べてくれない”という割り切った気持ちがあってのことでもありました。
きしめん離れの最大の理由
不人気のせいで、店もきしめんを売る意欲をなくしていきます。
最大の理由は、手間がかかること。薄くてしなやか、でもコシのあるきしめんを打つには熟練の技が必要。
きしめんはうどん店にとっては独立したメニューというよりうどんやそばと並ぶ麺の選択肢のため、手間がかかるからといって割増料金は取りにくく、店にとって割が合わないものとなります。
また、もともと名古屋は観光都市ではないため、近所の常連がお客の大半である町のうどん店には、きしめん目当ての観光客が来ることもほとんどありませんでした。
苦労の割に儲けが少ない
加えて、きしめんと並ぶご当地麺に味噌煮込みうどんがあり、こちらの方が麺打ちが容易で、なおかつ価格も高く設定しやすいため、店としてはどうしても味噌煮込みを優先することになります。
ちなみに名古屋市中心部のうどん店の平均単価はきしめん574円、味噌煮込みうどん882円(名古屋市東区の東麺類組合調べ、2021年10月)。
手間暇をかけた一杯が500円そこそこでは、積極的に売る気になれない店の気持ちも分かります。稀に同じ具がのったメニューでも「きしめんは+50円」とうどんに追加料金を上乗せする店もあり、これは労力・技術力を価格に反映させた誠実な姿勢といえますが、その価値がなかなかお客には伝わらないのもまた実情です。
これらの理由から、店も積極的にきしめんをアピールしなくなり、地元の人ほどきしめんを食べない、食べないから真の魅力も知らない、という悪循環が続いていたのです。