製麺機とも出前とも相性が悪い

そうなった要因は、皮肉にもうどん店が大いに繁盛した時代にあったといいます。1970~80年代、うどん店は外食シーンの花形でした。

今のように飲食店の業態がバラエティに富んではおらず、ファストフードやファミレス、ラーメン専門店、各種飲食チェーン、ましてやコンビニも本格的に台頭する以前。気軽に昼ご飯を食べたり、会社や自宅で出前を取るといえば真っ先に挙がるのが近所に必ず一軒はあるうどん店でした。

そのため、街なかのうどん店は昼時ともなれば常に満席。出前の注文もひっきりなしでした。

引きも切らない注文をさばくため、この当時多くのうどん店が取り入れたのが製麺機です。従来の手打ちから機械打ちに切り替えて生産スピードをアップさせ、お客のニーズに応えようとしたのです。この時、品質面で最も影響を受けたのがきしめんでした。

当時の製麺機では麺の仕上がりが均質化しすぎてしまい、きしめん特有のなめらかだけど適度に凹凸があってつゆののりがいい、そんなデリケートな食感を再現し切れなかった、と当時を知る麺職人はふり返ります。

技術を要するきしめん打ち
技術を要するきしめん打ち(写真=『間違いだらけの名古屋めし』より)

また、当時はどの店も当たり前のように受けていた出前も、きしめんには不向きでした。(「総本家えびすや本店」中山さんが言うような名古屋特有ののびにくい生地を使っているとはいえ)麺が薄いきしめんはうどんに比べてつゆを吸いやすく、お客が口にするときには半ばのびてしまっている、そんなケースが少なくなかったのです。

きしめん>うどん

「そういうきしめんを食べたお客さんに“きしめんはこんなもん”、そう思われちゃったんです」。「手打麺舗丸一」の清水さんは自戒を込めてこうふり返ります。

このきしめんの評価急落の時代をリアルに体験したのが今の中高年。名古屋駅ホームの立ち食いきしめんを地元のオジさんたちが特にありがたがるのは、街なかのうどん店できしめんを食べなくなってしまった世代だからかもしれません。

きしめんは、名古屋めしブームの恩恵にもあまりあずかることができませんでした。多くの観光客は名古屋駅ホームの立ち食いで満足してしまい、ガイドブックに紹介されるのはごく一部の決まった店。うどん店の多くは地域密着で、観光客が流れてくることもほとんどありません。

ラーメンのように熱心に食べ歩いてレビューするマニアもほぼ皆無で、“きしめんのおいしい店”の情報自体がそもそもなかったのです。