腹膜炎で3週間入院。病院長から「医者になるか」

中学校進学を機に学校に通い始めたが、半年しか続かなかった。

「その中学は必ず部活に入らなくてはならなかったんです。バレー部とバスケット部しかなくて、バレー部を選びました。そうしたらすごい怖い先輩がいて、なんか萎縮しちゃって、また学校に行けなくなってしまった」

中学校も小学校と同じ一クラス。顔ぶれも変わらなかったことも一因だった。再び、自宅で学校と同じ時間割で自習する日々だった。

「学校と同じ時間割で、勉強するんです」

10代は悲観的になりやすい時期だ。自分の人生は終わったと暗い気持ちになることもあった。今度こそなんとかしなければならない、高校進学が最後のチャンスかもしれない。

そう考えた坂本は同級生がほとんど進学しない養父市の八鹿高校を選んだ。香美町から距離的には遠くないが、交通の便が悪い。過去、入学した生徒は高校の近くに下宿していた。自分は一人暮らしに向かないと坂本はバスに1時間乗って通うことを選んだ。

この人生の“リセット”に坂本は成功した。高校では生物部に入り、親しい友人もできた。ようやくまともな学生生活が送れるようになったと安堵あんどしていた1年生の夏のことだった。

「期末試験を受けていたら、熱っぽくて調子が悪かったんです。そのまま試験を受けたんですが、お腹が痛くてどうしようもなかった」

病院に行ってみると虫垂炎をこじらせており腹膜炎となっていた。すぐに手術を受け、3週間入院することになった。

「同級生が宿題を持って来てくれたんで、病室でやっていたんです。そうしたら病院長が回診でやってきて、パラパラっとぼくの持っているのを見て、医者になるかって言ったんです」

手術後、初めて口にした白湯の美味しさに感動した。その後、自分の身体がみるみる回復、医療の力を実感していた。医師も悪くないと思ったのだ。

生物部の友人たちとゲーム感覚で勉強したこともあり、隣県の鳥取大学医学部に現役で合格した。

カテーテル治療の「師」との出会い

坂本の専門は脳神経外科である。脳神経外科は、脳外科とも呼ばれ、脳、脊髄、神経を専門に診断、治療する。脳卒中などの脳血管障害、頭部外傷、脳腫瘍などが該当する。

坂本が脳血管内手術と出合ったのは鳥取大学大学院生のときだ。これはカテーテル――0.5mmから3mmの管を患者の足の付け根や腕から血管に挿入、大動脈を経由して頚部けいぶや脳の血管に誘導し、薬剤や器具を使用して行う治療である。

「脳神経外科でカテーテルを使った治療をやっているということも知りませんでした。ごく一部の医師が始めたばかりでした」

その後、とりだい病院の担当教授から薦められ、このカテーテル治療を東京の虎の門病院で研修することになった。ここで人生の師と出会うことになった。根本繁である。

根本は東京大学医学部卒業後、東京大学、自治医科大学などを経て、ドイツ、カナダに留学し、脳血管内手術の研鑽を積んだ。2002年に虎の門病院で「脳血管内治療科」を立ち上げていた。脳のカテーテル治療を掲げた専門科は日本初だった。

「立ち上げから2カ月は旭川から勉強にきていた先生がおられた。一日だけその先生から引き継ぎを、あとはぼくと根本先生の2人ですね」

カテーテル使用により脳内での出血、脳梗塞などの合併症が起きる可能性がある。根本の施術では、それがほとんどないことに舌を巻いた。