※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 11杯目』の一部を再編集したものです。
米子が生んだ経済学者、宇沢弘文から得た病院経営のヒント
【原田省(鳥取大学医学部附属病院長)】永井さんと初めてお話させて頂いたのは、今から6年前、2016年のことでした。鳥取大学の副学長を兼務することになり、(鳥取市、湖山キャンパスの)経営協議会に出席するようになった。永井さんはこの経営協議会の委員でした。
【永井(認定NPO法人 本の学校顧問)】会議の後、米子まで同じ電車でしたね。
【原田】そのとき、永井さんが「いつも医学部にお世話になっています」とおっしゃったんです。永井さんが関わっておられる「よなご宇沢会」で医学部の記念講堂を使用されていたんです。恥ずかしながら、ぼくは「よなご宇沢会」を全く知らなかったんです。
永井さんから、会の冠となっている宇沢(弘文)さんが米子出身で、ノーベル経済学賞に値するほどの評価を受けた経済学者であることを教えてもらいました。この若造、病院長とかいいながら、何にもしらないと思われたんじゃないですか(苦笑い)。
【永井】(手を振って)いやいや、そんな風には思っていないですよ(笑い)。
【原田】永井さんから宇沢先生の名前をお聞きした直後、中海テレビで『米子が生んだ心の経済学者~宇沢弘文が遺したもの~』(2016年9月)がオンエアーされました。この番組を観て、こんなに凄い人が米子にいたことを知りました。そこから宇沢先生の本を読むようになったんです。
私は病院長になった後、悶々としていたんです。とりだい病院は、経済規模で考えれば山陰で最も大きな企業の一つ。その企業が高度医療の実践をするだけでいいんだろうかと。地域につながり、一緒に発展していくべきであるとは漠然と考えていました。
同時に病院がそこまで手を出してもいいのだろうか、それは医療機関の本分からはみ出すことではないだろうかと。