イオンの拡大戦略への対抗で生まれた
アークスは「対イオン」の対抗軸として生まれた面は否定できない。イオンのM&A(合併・買収)戦略は巧みだ。「ゆるやかな連帯」を掲げて少額出資をしたり共同出資会社を作ったり、機が熟した段階で経営統合を迫る。
北海道への本格進出に当たっても1992年1月に石黒ホーマ(のちのホーマック、現DCMホールディングス)、1993年9月に札幌フードセンター(のちのマックスバリュ北海道、現イオン北海道)、1995年1月にツルハ(現ツルハホールディングス)と業務・資本提携を締結し、北海道に楔を打ち込んだ。2000年9月の釧路店が直接進出の第一号。同年11月から2003年6月にかけて札幌平岡、札幌元町、札幌桑園、札幌苗穂の4店舗、2004年4月には旭川西店がオープンした。マイカルの破綻でマイカル北海道(のちのポスフール)も手に入れた。
道内の流通関係者にはイオンの拡大戦略は手ごわく映った。特に横山社長は全国各地でマックスバリュ(イオングループのスーパーマーケット)の攻勢を受けている情報をボランタリーチェーンのシジシージャパン(CGC)の会合で聞かされていた。北海道の地区本部である北海道シジシーのメンバーも相当な危機感を持っていた。そこで「オール北海道」で戦わなければならないという気持ちが醸成されていった。いわば大企業に対するカウンターベーリングパワー(拮抗力)が生まれ、アークスの経営統合スピードも速まった。
屋号はそのまま、バックオフィスを一本化する
イオンの攻勢は北海道・東北だけではない。イオングループはスーパーマーケット「マックスバリュ」を全国展開し、最近は「ビッグ」といったディスカウントストアを武器に地域のプライスリーダーになっている。こうした競争激化とともに、消費者の買い控えや電気料金の高騰などののっぴきならない課題が、多くのスーパーマーケット経営者の視線をアークスグループに向けさせる。
アークスは北海道、青森、岩手ではスーパーマーケット市場のシェア25~40%を握る。横山社長は「肝心なのはこれから限りなく(経済などの)条件が悪くなってくる部分を技術や経営資源で補い、どう新しいスーパーマーケットに持っていくかということ。一つの答えが地域のシェアを上げることだ。後継者がいない、相続の手法が分からないといったことはアークスに集約することで解決できる」と話す。
その旗印となってきたのは持ち株会社の下で各社が同列に並び、自主独立を重んじる「八ヶ岳連峰経営」モデルだ。統合後も経営はそのまま創業家などに委ね、原則として傘下に入った企業の屋号は残す。営業・店舗運営など顧客に直に接する部門は各社の組織を維持する一方、経営企画や法務部門、事務集中センターなどバックオフィスの部門は徐々にアークスに移管して一本化を図っている。各社の店舗運営や地場商品仕入のノウハウを損なわずに生かすためだ。