「少し時間をください」が許される世の中に
それに、ただ謝るだけでは、謝られた側にもその場しのぎ感というか、とりあえず感というか、そういうものが伝わってしまうのである。即席で謝るのではなく、その場の気まずさに耐えて、長い見通しをもって考える。考えた結果、謝るべきことは謝る。そのうえでこれからなにができるのか、そしてなにができない、あるいは譲れないのかを意思表示する。もしもそれができたなら、謝られた人は謝った人を赦すだけでなく、「あなたができない部分で、わたしにできることはありませんか」と、手を差し伸べてくれるかもしれない。
「申し訳ないです、少し時間をください」。そう言うことが許される世のなかであって欲しい。そして、その少しの時間のあいだに、考えることを許して欲しい。そのあとでようやく、これからはこうしますと。ただ、これはできませんと。これについてはどうかご容赦くださいと。あるいは、できないこれについて、どうかご助力くださいと。謝罪と怒りで終わるのではなく、謝罪から新たな関係の模索へ。そういう関係の模索が許される社会であって欲しい。