「あのパスタに500~600円の価値を感じられない」――。国内に1500店舗近く展開する人気ファミレス「サイゼリヤ」。SNSでネガティブな感想を言うと、炎上してしまうケースが多い。文筆家の御田寺圭さんは「特に、高収入者と思われる人にふだん利用している安価な飲食店をこき下ろされるとおそろしいほどの“怒り”が噴出する。それらは国内の貧富の分断が水面下で拡大していることを示している」という――。
インターネットの風物詩「サイゼリヤdisで炎上」
インターネットやSNSにおいて、百発百中で大炎上する話題がある。
政治の話題ではない、サッカーの話題でもない。イタリアンレストランチェーン「サイゼリヤ」の話題である。
ツイッターで「サイゼリヤは美味しいと言われているけど、私は美味しいとは思えない。あのパスタに500~600円の価値を感じることはできない」――と、あくまで個人的な感想を述べたにすぎない人のもとに、怒れる人びとの非難が殺到し、瞬く間に火柱が上がってしまった出来事が先月にあった。
ツイッターはそもそも、ごくごく個人的な「つぶやきツイート」をする場所だったはずだが、現在はとてもではないが本当の意味で「ツイート」をできなくなっているように感じる。
ツイッターにおける「サイゼリヤ」に対する支持はきわめて篤く、もはやその傾向はある種の信仰体系に近くなっているかもしれない。少しでも否定的なコメントをすると、どこからともなく怒れる人びとが集まり、たちまち炎上してしまう。
あくまで主観的な感想を言ったまでで、サイゼリヤを好きな人のことはなんら否定していないのに、そこまで苛烈に糾弾することはないだろう――と個人的には思ってしまうが、しかし一方でこれが大勢の人にとって看過されないのもそれなりに理解できる。
「食べ物の話」は、たとえそれが個人的な好き嫌いの話をしているつもりでも、それはどうしても「好き嫌いの話」のままでは収まりきらない。
――なぜなら、私たちの身体は「食べたものでできている」からだ。