「“兄弟確執”を不安に思われていたのでしょう」
美智子皇后は、毎月1回、天皇、皇太子、秋篠宮の「三者会談」を開くよう提案したというのだ。
始まったのは、先に書いた、天皇の病気見舞いで、雅子妃と紀子妃の関係が微妙だといわれていた2012年の春ごろからだったそうだ。
「陛下が象徴天皇としての体験や考えを、皇位の継承に連なる2人のお子さまにお伝えになり、率直な意見が交わされてきました。会談後は昼食会が開かれ、そこには美智子さまも参加されるのが恒例となったのです。
何度もお会いになって議論を重ね、天皇陛下の思いが皇太子さまと秋篠宮さまにも共有されました。陛下が’16年8月8日にご退位のお気持ちを表明すると決断された陰にも、この重要な会談があったといえます」(皇室ジャーナリスト)
その「三者会談」も、天皇が退位する2019年の4月24日が最後になったという。
その後は、親子で皇室を支えていくという構図から、兄弟が支え合っていくという形になった。
秋篠宮は皇嗣になり、皇位継承順位2位の長男の悠仁さんもいるから、「“将来の天皇”である悠仁さまが成長されるにつれ、その父である秋篠宮さまの存在感が大きくなっていくことも予想されます。
真面目で慎重な皇太子さまと、活発で率直な秋篠宮さま――。ご兄弟の正反対な性格を誰よりもご存じの“母”美智子さまだからこそ今後の“兄弟確執”を不安に思われていたのでしょう」(同)
母・美智子皇后の不安は、逆な形で現実のものとなっていったのである。
流れが変わった「眞子さんの結婚問題」
流れが変わったのは、長女眞子さんと小室圭さんとの婚約が延期になった2018年あたりからではないか。
この結婚について国民の間で賛否が渦巻く中、4年近く、秋篠宮はこの結婚問題に優柔不断な態度をとり続けてきた。妻である紀子さんの従業員に対する厳しい態度を、「ご難場」として週刊誌が何度も取り上げた。
天皇の退位が決まり、即位のための大嘗祭が行われることになると、秋篠宮は誕生日会見で、「(大嘗祭は)宗教色が強いもので、国費で賄うことが適当かどうか」と述べ、天皇の私的生活費にあたる「内廷費」から支出されるべきだという考えを示した。
秋篠宮は、「身の丈に合った儀式にすれば、皇室の行事として本来の姿ではないか」と、大嘗祭をより簡素なものにすべきだとも述べた。
大嘗祭は明治以降に肥大化してきたため、「無駄遣い」を改める意だったのだろうが、兄の門出に水を差したという批判もあった。
さらに秋篠宮は、「兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです」と、自らは天皇にはならないという意志を明確にしたような発言をした。
秋篠宮がそれ以上言及していないので真意は分からないが、この発言をめぐって物議を醸した。