「猛獣」ではなく「猛獣使い」だったジョブズ
ジョブズも前田も、優秀な人材をいつも探していた。ジョブズは世界から、前田はキリングループ内から。
「残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか」。ジョブズがこう言って、スカイリーをスカウトしたのはよく知られた逸話だ。
だが、現在のアップルにとって、ジョブズが実行した最も価値の高いスカウティングは、2008年にIBMからジョニー・スルージ(現在はハードウエアテクノロジー担当上級副社長)を引き抜いたことだったろう。
スルージはまずはiPhone用の独自チップ(半導体)を開発する。CPU(中央演算処理装置)やGPU(グラフィックス処理装置)など複数の回路を搭載した「SoC(システム・オン・チップ)」と呼ばれる半導体だ。
iPad、さらにパソコン「Mac(マック)」も20年末から独自半導体を採用。アップルはインテル依存からの脱却をスルージにより果たす。まさに転換点である。
「チップセットの設計は、君にすべてを任せた」と、ジョブズは超高額の報酬を用意しスルージを招請したのだった。
半導体の回路設計には、天才がもつ“ひらめき”が求められる。シリコン基板上に複数の半導体をどう配置し、微細な導線をどう結べば、発熱量を抑えて高効率に高速化できるかをイメージしなければならない。
ジョブズはスルージが天才であるということを見抜き、すべてを任せたことはポイントだった。自分よりも4倍も高い報酬を約束して、その通り支払った。この点は、ニコラ・テスラに賞金の約束を反古にしたエジソンとは違う。
89年、キヤノンは、ジョブズがアップルを追われた直後に設立した「ネクストコンピューター」に1億ドルを出資。キヤノンの役員に昇格したばかりの酒巻は、カリフォルニア州のネクストに“金庫番”として派遣され経営に参画する。一緒に仕事をしてみて、酒巻はジョブズの本質を次のように見た。
「この人は天才エンジニアではない。天才たちを操るのに長けた天才だ。個々の技術、デザイン、プロモーションまでを理解していて、優秀な人を使い全体をまとめられる。いわば、天才インテグレーター(統合者)といえるだろう。一番感心するのは、できもしないことを、さもできそうに訴えるプレゼン力だ」。
猛獣とも評されたジョブズだが、本当は自身が猛獣使いだった。とくに褒め方が巧みで、ジョブズの元に集まった純粋な天才たちを自在に扱っていたそうだ。
優秀な人材をいつも探していた
前田は一言居士であり、厳しい上司でもあったが、秀吉のような「人たらし」の才を有していた。キリングループ内に張り巡らした情報網から、“これは”という人物をマーケティング部にスカウトしていたのだ。突然の指名に驚く相手もいただろう。
キリンもアサヒも、ビール会社の主流は営業である。営業で高い成果を上げた人が、どちらかと言えば出世は早い。
それでも、新商品開発部門は社内の人気部署である。前田は笑みをたたえながら、ターゲットに近づき面談し、「こいつはできる」と判断したら、「新商品開発の楽しさ」を語って即マーケ部に引き入れる。秀吉が、寺にいた佐吉(石田三成)の才を認めてすぐに連れ帰ったように。
引き入れられた代表的な一人に、佐藤章(現・湖池屋社長)がいた。
佐藤は82年入社。
「僕は群馬で営業をしていて、酒屋さんに僕なりの店頭展示を提案し、販売成績を上げていた。やがて、『面白い奴が群馬におる』とジンさん(前田のこと)の知るところとなり、ジンさんと面談して新商品開発を行うマーケティング部に異動が決まります。つまり、ジンさんが僕を見出したのです。一番搾りが発売された1990年の春でした」(佐藤)
社内的には、社員が希望部署を人事部に伝える「キャリア申告制度」を利用して、佐藤は異動したことになっている。が、「表向きはその通りで、手続き上もそうなっています。しかし、真相はジンさんによる“一本釣り”でした。ジンさんは、優秀なマーケターになりそうな人材がいないか、いつも社内で探していたのです」。
サッポロが強い群馬で高い営業成果を上げていた佐藤は、本社マーケ部に異動する。ところがだ、マーケ部に前田はいなかった。40歳になったばかりの前田は、ワイン部門へと異動させられてしまったから。
伝統的な巨大企業にあって、人事部をスルーしたスカウティングを半ば公然と展開していたほど、前田は特別な存在だった。変化を嫌う保守的な幹部が多かっただけに、目をつけられていたのかも知れない。