「向かない人材」への配慮

それはともかく、上司と部下の関係にはならなかったものの、前田と佐藤はこの後も通じ合っていく。それぞれの自宅が近い登戸のキリンシティで定期的に会っていた。単純に飲むのではなく、いつも熱い議論を闘わせていたそうだ。

「商品開発には、マーケッターの思い入れが何より大切なんや」と、前田は何度も佐藤に話していたという。「ジンさんのマーケティングへの熱量はすごかった」と佐藤はいま振り返る。

マーケ部に異動した佐藤だったが、新商品の企画が社内で通らず、一時は「出社するのも嫌になった」というほどに苦しむ。だが、ビール文化に触れるためドイツを旅するなどで苦境を乗り越え、プレミアムビールの「ブラウンマイスター」を商品化する。

その後、佐藤はキリンビバレッジに異動し、「ファイア」「生茶」「アミノサプリ」などヒットを連発。16年に湖池屋社長に転じ、翌年「プライドポテト」をヒットさせ湖池屋を上昇気流に乗せる。佐藤は前田が生んだヒットメーカーであり、経営者である。

前田は人事部と結び、01年からマーケッターの社内公募を始める。一本釣りや人事異動ばかりでなく、もっと人を発掘しようと考えたから。第1回公募で入ったなかに、静岡支店にいた土屋義徳がいた。土屋は2005年、第3のビール「のどごし」を開発して大ヒットさせる。

もっとも、すべての人がマーケッターに向くわけではない。

スティーブ・ジョブズは、スルージのような成果を上げた人材を厚遇した反面、できない人は容赦なく解雇した(「即戦力になるような人材なんて存在しない。だから育てるのさ」という言葉をジョブズは残してはいるが)。アップルに限らず、米企業なら一般的な現象だろう。

iPhoneのプレゼンをするスティーブ・ジョブズ(2007年撮影)。
写真=dpa/時事通信フォト
iPhoneのプレゼンをするスティーブ・ジョブズ(2007年撮影)。

しかし、長期雇用の日本企業はそうはいかない(日本電産のような事例はあるが)。前田は、自身が“一本釣り”でスカウトした人でも、「マーケッターに向かない」場合、本人の意向を聞いて“次の部署”へと異動させていた。こうした細かな配慮と行動を、前田は続けた。

二人の天才の“違い”

前田はキリンビバレッジ社長に就任してからも、「昔話では食えない。過去の成功を捨て、新しい価値の創造を常に求めなさい」と語っていた。ジョブズも「次にどんな夢を描けるか、それがいつも重要」と話した。

ジョブズの、「偉大な製品は、情熱的な人々からしか生まれない」は、前田の「思い入れを強く」とも同義だろう。つまり、“モノ作り”の考え方は重なる。

もちろん、違う部分はある。ジョブズはイノベーションによる「プロダクト・アウト」であり、前田はマーケティングによる「マーケット・イン」をモノ作りの基本にしていた。

2人の立ち位置も違う。

ジョブズはアップルの創業者であり、イノベーションをもって、会社も人も成長させていった。「ベルは、電話を発明する前に市場調査などしたか?」、「イノベーションは、研究開発費の額とは関係がない。アップル社がマックを開発したとき、IBMは少なくとも私たちの100倍の金額を研究開発に投じていた」などと、ジョブズは言葉を遺している。

イノベーションこそがアップルの基本であり、純粋な天才たちを束ねるジョブズは、先頭に立って天才と呼ばれ、カリスマである必要があった。