その店長を慕ってアンバーに移ったのに、諸事情からすぐに店長が店を去ってしまった。戸惑いもあったが、これから生まれてくる子どものことも考えて、鹿山はそこで働き続けた。
数年後、店長に就いた鹿山は、「誰もやってないことをやってやろう」と変わったことを始めた。
蒸溜だ。
きっかけは、19世紀にフランスで出版されたお酒のレシピ集『Nouveau Traité de la Fabrication des Liqueurs』を手に入れたこと。たまたまこの本の存在を知った鹿山は、神保町の古書店を通して海外から取り寄せたのだ。
例えばこの本には、「リキュールの女王」とも言われる薬草系リキュール「シャルトリューズ」の作り方などが記されている。「シャルトリューズ」を作るには、レモンバーム、ヤナギハッカ、ミント、アルプスヨモギなどを高純度のアルコールに漬け込み、加水してから蒸溜するという手順になる。
鹿山は辞書を引き、あるいはフランス語に詳しいお客さんに訳してもらいながら、お店で実演し、それを振る舞った。市販のシャルトリューズを使ってカクテルを作るバーはどこにでもあるが、シャルトリューズを自作している店など皆無だったので、鹿山の存在はあっという間に酒好き、バー好きの口コミで広まった。
ついたあだ名は、「密造鹿山」。
密造とは密かにアルコールを製造することで、アルコールを蒸溜する=水分を抜いてアルコールを濃縮するのは「密造」に当たらない。だからこのあだ名は間違った表現なのだが、その怪しさからアンバーはさらに話題を呼んだ。
ハーブやスパイスの栽培を始めた理由
『Nouveau Traité de la Fabrication des Liqueurs』のレシピには、ハーブやスパイスがたくさん使われている。気軽に手に入るものが少ないうえに、乾燥させたものばかりだった。ふと気になって調べてみると、苗木や種は売っていた。もともとフレッシュなものを使いたいと思っていた鹿山は、自宅のプランターで栽培を始めた。
「当時住んでた家が一階だったんで、玄関を出たところにプランターをいっぱい置いてハーブを育てていました。簡単なものなら、プランターでちゃんと育つんですよ。それを摘んで、これ、珍しいハーブなんですけど知ってます? 俺が育てたんですよってお客さんに見せると、すっごく反応が良くて。それがうれしかったから、どんどん珍しいものを育てるようになりました」