憧れのバーテンダーとの出会い
この頃、東京・湯島の老舗バー「EST!」のオーナー、渡辺昭男さんに出会い、憧れた。
「渡辺さんはメディアにほとんど出ないから一般的にはそこまで有名じゃないかもしれないけど、業界で渡辺さんは誰もが知る存在です。僕が、21、22歳で通い始めた時、すでに70代でしたけど、佇まいがとにかくかっこいいんですよ。僕みたいなチャラい男が銀座のバーに行っても相手にしてもらえないんですけど、渡辺さんは僕に気さくにいろんな話をしてくれて。それがうれしくて、通うようになりました」
鹿山が23歳の時、「EST!」で長年働いていた右腕の女性が独立することになり、渡辺さんが新たに人を募集するという話が流れると、全国から働きたいという希望者が殺到した。もちろん、鹿山も「弟子にしてください」と頼み込んだが、「この歳だともうゼロから育てるのはちょっと厳しいから、ごめんね」と断れてしまった。
「ゼロから」というのは、理由がある。鹿山は当時、映画『カクテル』の影響もあってボトルやシェーカー、グラスなどを使って曲芸的なパフォーマンスをするフレアバーテンダーをしていたのだが、その仕事と「EST!」で渡辺さんがしてきたような本格的なバーの仕事は別物ということだ。
渡辺さんは気落ちする鹿山に、「~日にまた、ここに来て」と声をかけた。後日、なにかと思って訪ねると、渡辺さんは「君はこれからバーテンダーになるんだから、このことは覚えておいてください」と、およそ30分、プロのバーテンダーとしての心構えを説いてくれた。鹿山はその言葉を「絶対に忘れないようにしよう」と書き留めた。
・常に感謝の気持ちを持つこと
・常にお客様にぶつかっていくこと
・常に愛情を持って作ること
渡辺さんは最後に「これを忘れなければ、いいバーテンダーになれるから」と言ってほほ笑んだ。
西麻布で「密造鹿山」と呼ばれて
24歳の時、子どもができたのを機に結婚を決めた鹿山は、西麻布の「Bar Amber(アンバー)」で働き始めた。
「上野のバーでフレアバーテンダーやってた時、アンバーの店長にいろいろ教えてもらいたくて週一でアルバイトしてたんです。結婚して子持ちになったらフレアでは食べていけないから辞めるとその店長に話した時に、『じゃあ、うち来いよ。フレア(バーテンダー)はボクサーみたいなもんで寿命あるけど、ちゃんとバーテンダーの技術を持てばEST!の渡辺さんみたいに70代までできるぞ』って誘ってくれたんですよね」