ウェイターとして採用されたゴルフ場のレストランには、使われていないシェーカーがあった。「面白そう」と思った鹿山は本屋でカクテルブックを買い、そのシェーカーでカクテルを作ってみた。

「家にビーフィーターっていうジンがあったんですよ。カクテルブックを見たらジンとレモンと砂糖とソーダでジンフィズが作れるとわかったから、やってみようと。でも、その頃、炭酸水が近所で売ってなくて存在も知らなかったから、ソーダって三ツ矢サイダーのことだと思ったんですよ。だから、初めて作ったジンフィズは、炭酸水じゃなくて三ツ矢サイダーを使いました(笑)」

カクテルを作る手元
筆者撮影
流れるような手つきでカクテルを作る鹿山さん。

人生を変えたレインボーブリッジ

その頃、年上の彼女と付き合っていた鹿山はある日の夜、彼女の運転でドライブに出た。関越道から外環道を通って首都高速に入り、お台場へ向かう。湾岸線に入ってレインボーブリッジに差し掛かった時、助手席の鹿山はそのきらびやかな夜景に目を奪われた。それまで「高校を出たら自衛隊でもいくか」と考えていた若者はこの瞬間、進路を180度転換する。

「東京すげー! 俺は東京に出る!」

この時、レインボーブリッジの夜景を見なければ、ベンフィディックは存在しなかっただろう。気持ちが一気に東京に傾いた鹿山がアルバイト先でその話をしたところ、都内にホテルの専門学校があると教えてくれた。とにかく上京したかった鹿山は高校卒業後、巣鴨にあった駿台トラベル&ホテル専門学校に進学した。

名門ホテルのバーをクビに

その専門学校は研修制度が充実していて、ホテルでウエーターやベルボーイをすると単位として認められた。最終学年の2年生の時、帝国ホテルや六本木のグランドハイアットなどで研修をした鹿山は、某大手ホテルに就職が決まった。

実はその頃はまだバーテンダーに出会ったことがなく、ウエーターをしながら「ソムリエってかっこいい」と思うようになり、就職先でもフレンチレストランへの配属を希望した。ところがその年は新人の募集がなく、たまたまバーの枠が空いていたので、「バーテンダーもいいな」と手を挙げた。

そのホテルのバーは名門で知られ、1人の募集に同期の新入社員20人ほどの希望が殺到した。そのなかで、鹿山に白羽の矢が立った。ソムリエになりたかった人がなぜ受かったのでしょう? と尋ねると、苦笑した。

「僕、面接によく通るんですよ(笑)。面接に強いんです」

同期から羨望せんぼうのまなざしを向けられた鹿山はしかし、わずか半年ほどで退社することになる。職場で厳しい指導を受け、「まだ若かったから、カッカカッカしちゃって。半分クビですね」。

出来上がったカクテルを注ぐ鹿山さん
筆者撮影
大手ホテルを辞めてからバーを転々とした。

ただ、この半年間でバーテンダーという仕事に興味を持った。休日には都内のバーを巡り、伝説と称されるドイツのバーテンダー、チャールズ・シューマンの書籍『シューマンズ・バーブック』を購入して、カクテル作りの勉強もした。トム・クルーズがバーテンダーを演じる映画『カクテル』を観て、「バーテンダーにはアメリカンドリームがある!」と、ホテルを退職した後は都内のバーを転々としながら修業を積んだ。