「スリップ・ストリーム」の人気作家

10年ほどまえから、ミステリーやSFといったエンタメ領域の作家が、芥川賞や三島賞などの、純文学の賞をうける例が目につきます。円城塔に芥川賞をあたえられたり、舞城王太郎が三島賞にえらばれたりしたのがその例です。

純文学であつかうようなシリアスなテーマを、SFなどのエンタメ小説の枠ぐみのなかで展開させる――そうした作品は、アメリカでは「スリップ・ストリーム」とよばれています。60年代の、カート・ヴォネガットやフィリップ・K・ディックの小説をさきがけとし、J・G・バラード、ポール・オースターなどがそのおもな書き手です。

風の歌を聴け
[著]村上春樹 (講談社)

円城や舞城が、純文学の世界でみとめられたことは、「スリップ・ストリーム」が、日本でもジャンルとして確立されたことを意味します。そして、「スリップ・ストリーム」作家として、アメリカでたかく評価されているのがじつは春樹です。

「スリップ・ストリーム」の影響をうけ、純文学小説をポップカルチャーで味つけすることは、80年代に高橋源一郎などがおこなっていました。それらのこころみはしかし、純文学小説の骨ぐみのなかで、アニメのキャラクターをうごかしたりしているだけでした。

春樹のデビュー作『風の歌を聴け』は、みじかい断章のつみかさねによって書かれています。こうした構成のしかたを、春樹はカート・ヴォネガットにまなんだといわれています。作中でおおきな役割を演じている架空の作家・ハートフィールドは、ハワードやラヴクラフトなどの、1930年代に活躍した幻想作家をモデルにしています。

エンタメ小説からうけている影響のふかさにおいて、高橋源一郎と春樹は比較になりません。円城や舞城にさきがけた日本の「スリップ・ストリーム」作家として、だいいちになまえをあげるべきは、やはり春樹なのです。

円城や舞城は、バブル崩壊後に成人となり、社会に出た世代です。かれらにつらなる作家、という点から見ても、「『ヨサク』の守護神」という側面のみによって、春樹を語りつくせないことがわかります。