子供の頃に会った母の友人の名前を75歳まで覚えていた

チャップリン研究の泰斗デイヴィッド・ロビンソンは、「散見される間違いは、むしろチャップリンの記憶力のすごさを証明している」と言います。

たとえば、『自伝』のなかには、小学校時代に鬼のように怖かった教練担当の「ヒンドラム大尉」、幼少の頃3日間だけ会ったことのある母の友人「イーヴァ・レストック」、子役時代に初めて役をくれたデューク・オヴ・ヨークス劇場の舞台監督「ミスター・ポスタン」という名前が出てきますが、資料をあたってみると、彼らの本当の名前は「ヒンドム」「イーヴァ・レスター」「ポスタンス」だと明らかになりました。幼少の頃に耳で聞いた発音を覚えていて、そのまま書いたわけです。

それにしても、少年時代に3日間だけ会った母の友人の名前を、75歳まで覚えているとは尋常ではありません。

スイスにあるチャップリンの像
写真=iStock.com/InnaFelker
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「ブラウス1ダースで1シリング6ペンス」65年前のお金の記憶

この驚くべき記憶力は、とりわけ、話がお金のことになると詳細を極めます。以下は、75歳のチャップリンが10歳の時のことを思い出して書いた文章です。

搾取工場の下請けで出来高払いの仕事をしていた母は、ブラウスを一ダース縫って一シリング六ペンスを受け取っていた。布はすでに裁断された状態で届けられていたとはいえ、一ダースを縫い上げるのにかかる時間は十二時間。母の最高記録は一週間に五四着というものだったが、それでも六シリング九ペンスにしかならなかった。(『自伝』)

65年前の母親の仕事内容から給料、仕事時間から1週間の最高記録まで、この数字の細かさ! チャップリンはこれらの数字をデタラメで書いているわけではありません。

たとえば、彼が13歳の時に、「初めて航海に出た兄のシドニーが給料の中から35シリングを家に送ってきた」と『自伝』の中で回想しているのですが、『自伝』執筆中には見ることもできなかったシドニーの船員記録を調べると、ロンドンへの送金として、彼の記憶とビタ一文違わぬ額が記載されていました(デイヴィッド・ロビンソン著『チャップリン上』)。

このように裏づけをとるたびに、彼の記憶の確かさが証明されるのです。