30年前の作品のリバイバル上映でも興行収入を逐一把握
ハリウッドの映画監督ロバート・パリッシュは、子役時代に『街の灯』に出演しました。街角の新聞売りの少年で、チャーリーにまめ鉄砲を吹いてイタズラをする役です。彼は、後年1960年代にアイルランドでチャップリンと再会します。
当時、ニューヨークで『街の灯』がリバイバル公開中だったのですが、70歳をとっくに越していたチャップリンは会うなり、「私たちの『街の灯』が今、ニューヨークで大ヒットしている」と嬉しそうに話し始めます(パリッシュは、子役に過ぎなかった自分のことも含めて「私たちの」と言ってくれたことに感動しました)。続けて、劇場の席数から毎週の観客動員数、日々の売上やそのうちの彼の取り分など、細かい数字を並べ立てたとのこと。
「僕の映画は梅田より難波のほうがヒットする」
チャップリンは世界各地の映画館について、たとえば「僕の映画は大阪では、梅田の○○より、難波の××劇場の方が、ヒットする」などと把握していて、そのほとんどの興行成績や座席数などを後年まで空で言うことができました。
監督・脚本・作曲・主演・プロデュースをこなしたマルチの天才は、経理のこまかい数字までも把握していたわけです。細部に至るまでデータを暗記している驚くべき記憶力。これこそ、「超一流の経営者チャップリン」を支えた知られざる才能と言えるでしょう。
弱者の視点、商売の倫理、そして正確なデータを把握する記憶力――前者の2つは極貧の幼少期に身につけたものでしょう。絶望的な状況から身を起こして、倫理観とユーモアをともなった商売を成功させるその才覚は、我が国の戦後すぐに焼け跡から身を起こした先輩世代のパイオニア的経営者の語る教えと通じるところもあります。