「人格は変わる」ことを念頭に入れておく

実は2カ月ほど前、アメリカのワシントンで、CSISというシンクタンクが主催するシンポジウムが開かれました。そこでは「リーダーのあるべき姿」というテーマの下、多くの学者や有識者が議論をしました。CSISの所長、アブシャイヤー元大使が私の本の中にあった「リーダーのあるべき姿」という項目を読み、非常に感銘を受けたことから企画されたシンポジウムですが、理由はそれだけではありません。私の本に触発されたと同時に、クリントンさんのことで大統領の権威が失墜しているという問題がアメリカで起こっていたからでした。

このシンポジウムでは、「リーダーはすばらしい人格を持った人でなければならない」ということが異口同音に言われました。特にアブシャイヤーさんは、「大統領が強大な権力を持つようにアメリカ合衆国の憲法で決められたのは、初代大統領ジョージ・ワシントンがすばらしい人格を持っていたからです。ですから、強大な権力を大統領に与えてもいいし、また与えたほうがいいとなったのです。

しかし、その後の大統領が強大な権力を持つにふさわしい人格を持たなかった場合には、その権力を付与するには問題があるという議論が出てくるのは当然です。改めて大統領職の権限について議論すべきです」とまで言われました。しかしただひとつ、参加されたみなさんが触れていないことがありましたので、ランチョンスピーチをすることになっていた私は、そのときに二宮尊徳の例をあげて、こういう話をしました。

「リーダーには人格がたいへん大事です。集団を引っ張っていくには、リーダーの人格が問われます。このことはみなさん、異口同音におっしゃいましたが、私はそこに『人格は変わる』ということを頭に入れなければならないと思っています。大統領に選ぶときにはすばらしい人格だったのかもしれませんが、ひとたび権力の座に就いて後、その人が変貌を遂げていく場合があります。例えば、中小零細企業の経営者であったときには非常にすばらしい人格を持っていたのに、成功をしていくに従って人格が変わっていく場合があります。

この『人格は変わるのだ』ということを前提にすれば、リーダーは、今人格がいいだけではなく、今後もその人格を維持していくような人でなければならないのです。例えば、若い頃にすばらしい人格を持っていると思っていた人を社長の座に就け、権力を持たせてみたら、その後どんどん人間が変わってしまい、腐敗していき、とんでもない経営者になってしまったという例もあります。また、若い頃には手に負えないようなワルだったのに、長ずるに及んで、精神修養もし、立派な人間になっていったという人もいます」