NHK対民放という「コップの中の嵐」では済まない
この突然降って湧いた業界特有の問題は、Netflixの前のめりな広告導入が引き起こした個別の事情というよりは、かねて総務省の研究会などでも指摘されてきた、実は地上波など放送業務改革というのはNHK対民放というような国内のコップの中の嵐ではもはやなくなっているのだとも言えます。そのことは、ストイカでの記事(NHK対民放は「谷脇康彦的」成分が不足)にも書きました。
日本国内では、どちらかというと「NHKをぶっ壊す」とか「スマホ持ってたら番組受信できるからスマホ持ってるやつはみんな黙って受信料払え」とか「NHKの金庫にたんまり蓄えられた金の延べ棒を少し取り崩してわずかばかりの受信料を下げて改革したことにします」などの話がさかんに喧伝され話題になります。国内の事業環境だけ見ればNHKはガリバーであり、民放は駆逐される運命にあるともよく言われます。
ですが、コンテンツを作るのにはカネが要り、少なくともまともな日本人が起きている時間帯は「おはよう」から「おやすみ」まで日本全国で何らかコンテンツが垂れ流されているのですから、実際のテレビ局・放送行政というのは巨大な装置産業であり、コンテンツ投資の塊であるとも言えます。
その日本で最たるコンテンツ業界の雄でもあるNHKと民放とがひしめく放送村において、日本におけるガリバーNHKなんぞよりはるか巨大な資本で競争を挑んできているのがNetflix、アマゾン、ディズニーといった世界的なコンテンツ産業の皆さんなのであって、競争はむしろそれら外資系との戦いなのだという理解をする必要があります。
放送と通信の着地点について国民的議論が必要
先日の、総務省放送村が主催していた「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」とかいうNHKどうすんだ会議では、青山学院大学の内山隆先生が出色のリポート(「ネット配信時代のメディア産業ー産業組織と経営戦略の観点から」)を取りまとめておられました。ご関心の向きは是非ご一読ください。
その超でかい国際的競争相手のNetflixが、国内権利者問題や地上波民放各局、NHKの権利関係やビジネスモデル上の競合をぶち抜いて広告配信を11月4日から始めるでやんすと強行するのは、単に情緒的に「なめられている」というよりも、完全に独占禁止法上の問題(アメリカ側から見れば反トラスト)であり、総務省の放送村の議論も十分に斟酌したうえで、より政治的に着地点を見繕う必要があるように思います。
NHKを含めたテレビ各局は、もちろんNetflixの広告配信の問題を認識していますが、残念ながらすぐにコンテンツを引き上げるという動きにはなっていません。どうやらNetflixからは一定の収入があるため、それをゼロにしたくないようです。ですが、これまでのビジネスモデルをぶっ壊すような動きを見過ごせば、日本の業界全体が沈没してしまいます。
それもこれも、かなりの時間を「地方のテレビ局が潰れそうだからどうしよう」とか「NHKのデジタル配信は民業圧迫だからやめろ」とか「NHKぶっこわーす」などの国内事情で空費してきた時間のツケを国民が払うことになりかねず、この国の放送と通信をどこに向けて着地させるべきなのかという国民的議論が必要なのではないでしょうか。