「突然の便意」は誰にでも襲いかかる

私も唐津で暮らすようになってから、この高速バスには何度も乗ってきたが、これまでに2回「すいません! トイレに行かせてください!」と乗客が運転手にお願いする姿を見たことがある。運転手も慣れているのだろう。車内アナウンスを介して「あとどれくらい我慢できますか?」と尋ね、客は「もう少しです!」と運転席に向かって叫び返す。そうして「あと数分でガソリンスタンドがありますので、そこへ行きます」や「コンビニにいったん寄ります」などと冷静に対応してくれる。

かくして、この2人は無事便所へ行くことができたのだが、バスを降りてトイレに向かう際も、用を済ませて戻ってくる際も、まるで脱兎のごとく、猛スピードで駆け足移動していた。できるだけ早くバスに戻らなければ、と申し訳なく思っていたのだろう。バスに戻って車内通路を歩くときには、何度も頭を下げ、乗客に遅延のお詫びをしていた。

だが、他の乗客はこうして申し訳なさそうに便所を利用する者に対して、案外優しい気持ちを抱いてしまうものである。「自分もいつ、同じ状況に陥るかわからない」「突然の便意を我慢するのはツラいよな」「こういうことはお互いさま」と察することができるからだ。

なかには「チッ、到着が遅れるじゃないか」「乗る前にトイレくらい済ませておけよ」「自己管理がなってない」と憤る向きもあるだろうが、それをグッとのみ込んで「気にしないでいいですよ」という態度で接するのが人情であり、大人の作法である。むしろ、露骨にいらだちを示したり、文句を言ったりする人物のほうを、私は軽蔑する。

「漏らしてしまったらどうしよう」という恐怖感

首都圏をはじめとした大都市にて電車で通勤・通学をする人は「便意を催したら最寄りの駅で降りればいいだろう」と考えている。これは大きな安心感だ。対して、高速バスで通勤・通学する者にはこの安パイがない。豪華装備のリムジンバスや、深夜の高速道路を走る長距離バスなどは車内に便所を備えているものもあるが、唐津―福岡程度の距離を走る高速バスには便所がない(「かつては存在した」という話もあるが、現在、便所を備えた車体はこの路線で用いられていない)。

太宰府駅前に停車する太宰府ライナーバス「旅人」
写真=iStock.com/Nirad
※写真はイメージです

だから「緊張すると途端に便意が湧く」や「寒くなるとお腹が緩くなる」といった体質を持ち、さらに「トイレに行きたいのですぐに停めてください!」とハッキリ意志表示する勇気がなかなか発揮できない人にとって、そうしたバスに乗っている1時間+αの時間はある意味、恐怖のひと時となる。

唐津―福岡間の移動ということでは、別の公共交通機関としてJR筑肥線が存在する。こちらは車内に便所があるから、突然の便意や尿意が恐ろしい人は電車を利用する。だが、極端な渋滞にでもハマらないかぎりバスのほうが早く到着するし、運賃も安い。また、朝の通勤・通学時間帯は頻繁に便(ビンだ。ベンではない)があるから、使い勝手もよい。だからできれば、バスで移動したい。

とはいえ、不運にもバスの車内で漏らしてしまったらもう、絶望的である。通路の補助席も利用するような満席だった場合、バス全体に悪臭が漂うなか、誰も座席を移動したりできないまま、ひたすら耐え続けるしかない。

乗客は臭いに辟易とし、漏らしてしまった当人は、パンツのなかで大便がずっと尻に押し付けられている不快感に耐えることになる。そして「あぁ、どうしてバスに乗る前、念のためトイレに行っておかなかったのだろう」「電車を選択しておけばよかった」などと後悔の念に苛まれるのだ。合わせて、申し訳なさや恥ずかしさ、屈辱感などさまざまなネガティブ感情も募らせていく。ようやくバスが停車しても、苦労は続く。

運転手に謝罪をして多目的トイレを目指し、まずは尻を洗う。続いてズボンないしはスカートを石鹸でサッと洗い、パンツは捨てることになるだろう。目的地に到着していなくても、バスはそこで降りることになると思われる。そこからユニクロなど簡単に服が買える店を大急ぎで探し、ノーパンのまま下着とズボン・スカートを購入。再び公衆便所なりに入って着替えを終え、なんとか人心地つけるわけだが、心に負ったダメージはそう簡単には払拭できない。加えて、その後もバスに乗らなければならない場合には「あ、この前、車内で漏らした人だ」と思われやしないだろうかと他の乗客の視線が怖くなり、終始うつむくことになるだろう。