男子小中学生はなぜ、学校でトイレに行けないのか

先日、私が暮らすマンションのエレベーターに乗った際、猛烈な悪臭を感じた。水分がかなり混じった大便が落ちていたのだ。あくまで推測だが、小学生の男の子が排便を我慢していて、「家まであと少し……」というところでついに限界を迎え、漏らしてしまったのではなかろうか。エレベーターの床に残っていたのは、ズボンの裾から少し流れ出てしまった便かもしれない。家に着いて汚れを洗い流した後、「あの大便は処理しなくてはなるまい……」と考えたのかもしれないが、結局、恥ずかしさが勝って放置したのではなかろうか。

くだんの便が小学生男子に由来したモノかどうかは想像の範疇を出ないが、小中学生の男の子にとって、自宅外での排便はできるかぎり回避したい、恥ずべき行為といえる。単純に大便を出していたことがバレてしまうのが恥ずかしいし、トイレで音を響かせたりすると笑いものになってしまう可能性が高いからだ。

ときには「おーい、誰だよ、入ってるのは?」などと個室ドアの外から声をかけたり、「誰かいるぞ!」と壁をよじ登って、なかを確認したりしようとする輩もいる。タチの悪い連中になると、ゲラゲラ笑いながらホースで水をかけたり、ドア下の隙間からモップの柄をガシガシと差し込んできたりすることもある。誰が個室に入っていたのかバレようものなら、その後(なんなら卒業するまで)「大便マン」などと不名誉なあだ名で呼ばれる可能性もある。校内のトイレで大便を排出する行為はすなわち、同世代のコミュニティーにおける自身の序列や周囲からの扱いにも深く関わってくる、極めて重要度の高い課題なのだ。

男子用トイレ
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排泄は優れた生体メカニズムであり、尊い行為

少なくとも、私が小学生の頃(1980年~1985年)はそんな風潮があった。だから仲のよい、何でも打ち明けられる友人とは「女はいいよな……」「なんで?」「だってさ、学校で大便していてもバレないじゃん」「そうだね」「オレは女に生まれたかったよ」なんて会話を真剣に繰り広げていたものだ。実に不毛であり、なにより不健康である。しかし、こうした「学校コミュニティー内での大便排泄は忌避すべき行為」という感性は、現在の小学校、中学校でも多かれ少なかれ続いていると聞く。出したいモノを自由に出せない苦労を思うと、同情を禁じ得ない。

ちなみに、前出のエレベーター脱糞事件については、程なく管理会社に連絡が行ったらしい。発生の翌日、マンションエントランス前で同社社員の女性が困惑した表情で、上司と対応を相談していた。そして数時間後には大便がこそぎ取られ、エレベーターの奥には芳香剤が設置された。しばらくは、なんともいえぬブレンドの悪臭がエレベーター内に残り続けた。

それにしても、この排泄行為を忌むべき事柄、揶揄の対象とするような日本人の感覚は、一体なんなのだろうか。しょせんは単なる自然現象である。おおっぴらに触れ回るような行為でもないことは理解するが、“恥”なんてことはあり得ない。それどころか、摂取した有機物を養分として消化吸収し、その残りカスを老廃物とともに体外に排出するという、優れた生体メカニズムなのだ。つまりは「生きる」ことそのものといえる営みであり、実に尊い行為なのである。それなのに「アイドルは大便をしない」などと珍妙な幻想を語り合ったり、モーニング娘。の石川梨華が大便をするかしないかで10年以上、匿名掲示板の「2ちゃんねる」で議論が展開されたりした。まぁ、このあたりはまだネタのひとつとして笑い飛ばせるが、「恥ずかしいから、バカにされるから大便が排泄できない」なんて感性は、まったくのナンセンスである。